10月5日はスティーブ・ジョブズが亡くなった日

 

今日10月5日はスティーブ・ジョブズが亡くなった日。56歳でした。ビジネス向けのウィンドウズに対して、よりアーティスティックなパソコンであるマッキントッシュを生み出したアップル社を創業。一時は会社を追われるものの、カラフルなパソコンiMacやデジタル音楽プレイヤーiPod、スマホのiPhoneなどを次々に世に送り出し、奇跡の復活を遂げました。

(写真:Ben Stanfield)

ジョブズは天才と呼ばれますが、気性が荒く、まわりの人間をことごとく罵倒するなど、かなり問題のある人間でした。そんなジョブズが全面的に協力して書かれた伝記がウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(講談社)です。「僕が死ねば、僕についていろいろな人がいろいろなことを書くはずだけど、……間違いばかりになる」というのが協力した理由でした。

たとえば、「スティーブ・ジョブス最後の言葉」(Steve Jobs Last Words)と題された文章が2015年、フェイスブックなどで多くシェアされました。「神は、誰もの心の中に、富によってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための『感覚』というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない」。これはいわゆるネット流言であり、まことしやかな作り話です。

ジョブズは子どもの頃、ルーテル教会に通っていました。しかし、思春期に差しかかる頃のことです。1967年、ナイジェリアの一部がビアフラ共和国として独立を宣言したことにより、戦争が始まりました。食料・物資の供給が遮断されたために、ビアフラの飢餓が国際的な問題となったのです。

ビアフラの女の子(写真:Centers for Disease Control and Prevention, Atlanta, Georgia, USA)

両親は信心深いほうではなかったが信仰の大切さを子どもに教えたいと考えており、日曜日には子どもをルーテル教会に連れて行くことが多かった。しかしジョブズが13歳のとき、その習慣は終わる。きっかけは定期購読していたライフ誌の1968年7月号だ。その表紙には、がりがりにやせたビアフラの子どもが写っていた。ジョブズはこの雑誌を日曜学校へ持ってゆき、牧師にこうたずねた。
「指を動かそうとしたら、どの指を動かそうとしているのか、神さまはおわかりになるのですよね?」
「そうですよ。神さまはなんでもご存じですから」
ジョブズはライフ誌を取り出す。
「では、神さまはこれについてもご存じで、この子たちがどうなるのかもおわかりなのですか?」
「スティーブ、君にはまだわからないと思うけれど……でも、そうです。神さまはなんでもご存じなのです」
そんな神さまなど信じる気になれないと、ジョブズは教会に通うのをやめた。しかし、禅宗については若いころから長年にわたって学び、実践しようと努力をする。一般的な教義より精神的体験を重視すべきだというのが、ジョブズの宗教観なのだ。私には、こう語ってくれた。
「キリストのように生きるとかキリストのように世界を見るとかではなく、信仰心ばかりを重視するようになると大事なことが失われてしまう。いろいろな宗教というのは、同じ家に付けられた異なるドアのようなものだと僕は思うんだ。不思議なのは、その家がそこにあると思うときと思えないときがあることだ」(同Ⅰ、45~46頁)

この本の最後では、次のようなジョブズの言葉を伝えています。

「神を信じるかと言われれば半々というところだね。僕は、目に見えるものだけが世界ではないはずだとずっと思ってきた」(同Ⅱ、460頁)

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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