今日10月19日は土井晩翠(どい・ばんすい)が亡くなった日。「荒城の月」の作詞者です。
作曲をした瀧廉太郎がクリスチャンだったことは8月24日の「今日は何の日」に書きましたが、晩翠もキリスト教と関わりがあります。八枝夫人と長女の照子がクリスチャンでした。
八枝は、瀧も通っていた東京音楽学校で学んでおり、その時に洗礼を受けたと思われます。そこの教授や学生にクリスチャンが多かったのです。
娘の照子は宮城女学院専門部時代に東北学院教会で洗礼を受けました。しかし、20歳の頃に結核をわずらい、7年後、若くして天に召されます。
臨終の床で父親の晩翠にテニスンの「砂州(さす)こえて」を英文で読んでもらい、祈りのうちに息を引き取りました。「砂州を越えたとき、私の水先案内をしてくれるキリストと顔と顔を合わせて会えますように」とこの詩は結ばれます。
「荒城の月」の歌詞には、「変わらぬ光」「天上影は変わらねど」というように、変わらない天と移ろう地の対比が歌われていますが、晩翠がこれを作詞したのは結婚の1年前です。その後の歩みの中で晩翠は自分の詞をどのように味わったのでしょうか。