『武士道』が書かれるにあたって、新渡戸稲造がくぐり抜けた困難とは?
「サムライ」という言葉の響きを聞いて、憧れと尊敬の念で、思わず心躍らせてしまう人は限りなく多い(?)ことでしょう。今回は、その名も『武士道』と題された新渡戸稲造の著作の言葉を取り上げつつ、サムライなるものの生き方を探ってみることにします。
「武士道は[…]道徳的原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、もしくは教えられたるものである。それは成文法ではない。[…]むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多い。不言不問であるだけ、実行によっていっそう力強き効力を認められているのである。」
この言葉のうちには、新渡戸がこの本を書き上げるにあたってくぐり抜けた困難の片鱗をうかがうことができます。今から120年前に全世界を巻き込むブームを引き起こした『武士道』の制作の裏事情を、まずはたどってみることにしましょう。
これまで書かれてこなかったものを、どうやって書くのか?
この本を執筆していた頃、当時、38歳にならんとしていた新渡戸稲造は、アメリカはカリフォルニア州で、一つの難題に直面していました。彼は、武士道なるものの内実を歴史上はじめて世界に向けて発信するという務めを、自ら引き受けようとしていたのです。
「サムライの生き方なるものを、欧米諸国の人々に伝えたい。」しかし、ここには新渡戸も頭を悩ませざるをえない、原理的な問題がありました。武士道なるものについての本を書こうにも、参考とするべきお手本が、ほぼ全くないといっていい状態だったのです。
この点については今も昔もあまり変わりませんが、日本人というのは概して、「言わぬが花」の姿勢をよしとしています。タッちゃんと南が互いに対してどれほど激しい恋の熱情を抱いていようとも、それを直接的には表現することなく、ただ真夏の入道雲を描くにとどめて余情を味わわせるのがジャパニーズ・スタイルです。過去の武士たちも、その例に漏れることはありませんでした。彼らは、「これが武士道だYO!」などと宣言することも説明することもなく、黙って腹を切り、沈黙のうちに桜と散ってゆきました。
事が日本人の間ならそれでよいのですが、実情を知らない外国人たちからは、このような生き方をする武士たちは「見たところ、めちゃくちゃに真面目そうではあるが、いざという時には一切の説明をすることなく次々と腹を切ってゆく、とてつもなくヤバい人たち」とも受け取られてしまいかねません。新渡戸は、悩みました。悩み尽くしたあげく、歴史上の記録や文芸作品、武士たちが書き残した家訓集(これはこれで、またしても「言わぬが花」の精神に則って書かれている)などとの飽くなき格闘の末に書き上げられたのが、かの歴史的名著『武士道』だったというわけです。
ついに書き上げられた『武士道』と、輝くサムライの信念
出来上がった『武士道』は、輝いていました。そこには、これまで沈黙を守り続けていた武士がついに決意して立ち上がり、自らの信ずるところを雄弁に述べ始めたかのごとき観がありました。この本の原文はすべて、英語で書かれています。釈明を請われたサムライが壇上に登り、ジェントルマンシップにのっとって、堂々たるスピーチを始めたというわけです。
多くの人が知っているように、サムライとは、いつでも腹を切って死ぬことのできる勇敢さを身につけた戦士です。しかし、この勇気はもちろん、ただ死ねばよいというものではありません。むしろ、生きるべき時には生き、死ぬべき時には死ぬこともできるという、研ぎ澄まされた覚悟のことを意味します。
そして、この覚悟は逆説的なことに、突き詰めてゆくと、平和という究極的な理想にまで至ります。たとえば、江戸城を無血開城したことでよく知られている勝海舟という人は、「たとえ自分は殺されるとしても、決して相手のことは殺さない」という信念を最後まで貫いたことで知られています。このサムライの中のサムライは、まわりの人たちから「あなたのような立場にいる人は、ためらわずに殺すのでないと、いつか殺されてしまいますよ!」と言われても一切動じることなく、自らの信念を曲げずに幕末の動乱を生き抜いたのです。まさしく「血を流さずして勝つをもって、最上の勝利とす」というわけです。
これほどまでに高潔な人間の生き方が、人の心を動かさないはずはありません。『武士道』は瞬く間に大ベストセラーとなって世界中の国々で読まれ、数多くの読者たちに感銘を与え、日本にも逆輸入されて反響を引き起こしました。最終的には、当時のアメリカ大統領であったセオドア・ルーズヴェルトまでもがこの本を読んで大いに感動し、友人たちにこの本を配って回ったといいます。極東のサムライの弁明が、ついにはホワイトハウスをも動かしたというわけです。
おわりに
新渡戸稲造の『武士道』は当時の日本人のうちに往々にして見られた道徳上の欠点をもきちんと指摘しつつ、沈黙せる武士道を、世界に向かって堂々と擁護した本でした。安易なナショナリズムに陥ることがなかったあたり、さすがは名著というほかありませんが、この本の言葉は21世紀初頭の今日にあっても多くの読者たちの心に、サムライなる生き方への憧れをかき立ててやむことがありません。