あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(ヨハネによる福音書16章20節)
主イエスはご自分の死によって弟子たちが悲しむことを思い、今日の聖句を語った。主イエスは「その悲しみは喜びに変わる」と約束する。弟子たちは再び主と会うからである。「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる」(22節)。弟子たちは肉眼で見える主イエスではなく、復活して永遠に生きておられる霊なる主に会うのである。その時与えられる喜びは、もはや何者からも奪い去られることはない。「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と言われる復活の主が弟子たちの喜びの源となる。
主イエスもまた悲しみと死の道を通られた。その主イエスを神は死から復活させて、栄光を与えた。弟子とは主イエスの道を歩む者である。主に従うゆえに受ける試練の日々は、闇の夜のように感じられるであろう。しかし、夜は「しばらく」なのである。必ず悲しみは去り、喜びが訪れると主は約束する。「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない」(23節)と主イエスは言う。事実、弟子たちは復活の主にお会いした時、主の十字架の意味を理解した。主イエスは世を罪から救うために神が遣わした救い主であった。弟子たちは喜びに満たされ、十字架の福音を携えて世に出て行った。
主イエスは弟子たちに主の名によって、父なる神に願うようにと勧め、そうすれば、喜びで満たされると言った。神は主イエスの名によって祈る者にご自分の臨在を悟らせ、喜びで満たしてくださる。神は目に見えないが、生きておられる霊的な実在であり、喜びを与えてくださる方である。