父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。(ヨハネによる福音書15章9節)
主イエスはご自分と弟子たちとの関係を「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(5節)と言った。「実」とは主が求める愛の実践である。私たちは主に繋がっていなければ、自分では愛の実を結べない。
主に繋がるとは、第一に、聖書を通して主の言葉を聞き、その言葉を心に留めて、主に祈ることである。主イエスは「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい」(7節)と言う。私たちは「愛し合いなさい」という主の言葉を聞き、愛の戒めが自分の力を超えているゆえに、愛し合うことを望んで、主に願い求める。
第二は、主イエスの愛の中に留まることである。今日の聖句は、まず御子(みこ)イエスに対する父なる神の愛が語られている。神は唯一であると同時に、父、子、聖霊であるとは、神ご自身が互いに愛し合う神、愛そのものであるということである。愛は一人では成り立たない。私たちは、私を創造された神は愛であり、だれが私を愛してくれるより先に、神は私を愛していると知るべきである。主イエスはその生涯と十字架の死において、人々の罪に傷つけられながらも、なお無条件に人々を包む神の愛を現された。主イエスの愛に留まるとは、十字架の主を仰ぎ、神がどんなに大きな愛を現されたかを心に留めていることである。私たちはどんなに神に愛されているかを知って、互いに愛し合うことを願うようになる。