7月4日「”霊”の働きが現れる」

一人一人に”霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。(コリントの信徒への手紙I 12章7節)

神は、「イエスは主である」と告白した者たちを召して、神の民の群れである教会を建てられる。神は召した者たち、すなわちキリスト者たちに霊の賜物を与える。それによってキリスト者が神に仕え、教会の宣教に参与することを通して、神は世においてご自身の業を進められる。

パウロはいろいろな賜物、いろいろな務めがあると語り、霊の賜物として知恵、知識、預言などを、また教会の宣教の務めとして使徒、預言者、教師、援助する者、管理する者などを挙げる。それらは、聖霊であり、御子であり、すべてのものの父である三位一体の神が「望むままに、それを一人一人に分け与えてくださる」(11節)。ゆえに、賜物も務めも受けていないキリスト者はいない。また、これらは神が熟慮して一人ひとりに分け与えられるものであるから、誇ることも、卑下することもない。どの賜物も、どの務めも、必ず他を必要とし、他と結ばれて、宣教の業が進められる。今日の聖句の「益」という言葉は、共に進むという意味である。各々に与えられる賜物や務めが共にされて、教会の宣教は進められる。

パウロは賜物の真偽を識別する基準について語る。第一は、賜物は個人の能力ではなく、「イエスは主なり」と告白するものである。第二は、「全体の益となる」、すなわち個人的なものではなく、教会全体が共に進むためのものである。私たちは各々に与えられた賜物をもって、共に主に仕え、「イエスは主である」ことを証ししたい。同時に、自分の奉仕は他の兄弟姉妹の奉仕に支えられていることを思い、感謝し合いたい。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

この記事もおすすめ