神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリントの信徒への手紙I 10章13節)
イスラエルが奴隷であったエジプトから救い出され、約束の地に向かって旅したように、信仰生活は天の国に向かう旅である。それは、イスラエルが荒野を通らされたように、決して平坦な道のりではない。たびたび、苦しい試練に襲われる。しかし神は、昼は雲の柱、夜は火の柱となって、荒野を旅するイスラエルの人々に同伴されたように、私たちの信仰の人生に同伴し、ご自身の臨在を示してくださる。今日の聖句は、この神の真実を味わい知る信仰者の告白である。
私たちは自分の人生を振り返る時、苦しい試練の道を通らされたが、神が私を憐れみ、時宜にかなった助けを与えてくださったという経験を何度もした。私たちが神を仰ぐ時も、そうでない時も、私たちを憐(あわ)れみ、救いにあずからせてくださった神は真実であり、私たちを見守り、同伴し、持ち運んでくださる方である。そのことを心に留める時、私たちもパウロと共に、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(Iコリント15・10)と神を賛美する。
人生には試練がついてまわるが、特に、信仰の人生を生きようとする者には、信仰がふるいにかけられるような試練にあう。「主は愛する者を鍛え」(へブライ12・6)るからである。しかし、神は耐えられないような試練に遭わせることはない。「逃れる道」を備えておられる。安全な所に逃げ込む道ではない。神がイスラエルを約束の地に導いたように、神の約束は必ず成るという信仰に、私たちを堅く立たせてくださる道である。