6月27日「すべての人の奴隷に」

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。(コリントの信徒への手紙I 9章19節)

神を信じて生きる時に、私たちは自由である。神を信じるなら、もはや人を恐れない。試練にあっても、恐れから解放される。この自由は信じる者に与えられる神の恵みである。

今日の聖句は、神の恵みにあずかった者が選び取る自由な生き方を示している。パウロはキリストを信じて、律法を絶対化する生き方から自由になったが、ユダヤ人に伝道するために、律法を大事に思うユダヤ人の立場を尊重した。そのことを「人の奴隷になりました」と言う。

私たちは隣人に福音を知らせたい、救いにあずかつてほしいと願っている。しかし、そうであればこそ、まず相手の立場を尊重することが求められる。キリストの福音を伝えるときに、その文化を絶対化はしないが、これを尊重する。

私たちは神を信じて自由な者にされたのであるが、まだ完全に自由ではないから、すぐに相手を否定したり、裁いたりする。そして、人々をキリストにではなく、自分の行為でつまずかせてしまう。そのような私たちであるから、神の前に立つ礼拝において、くりかえし罪を告白し、信仰を立て直していただかなければならない。パウロは信仰生活を競技にたとえて、途中で失格者とならないように節制し、天の国を目指して賞を得るように走りなさいと勧める。私たちはすでに神に捉えられた者であるが、信仰の歩みは途上にある。しかし、その途上の行き着く先は天の国である。この希望を抱いて、私たちは信仰に精進するのである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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