わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。(コリントの信徒への手紙I 9章19節)
神を信じて生きる時に、私たちは自由である。神を信じるなら、もはや人を恐れない。試練にあっても、恐れから解放される。この自由は信じる者に与えられる神の恵みである。
今日の聖句は、神の恵みにあずかった者が選び取る自由な生き方を示している。パウロはキリストを信じて、律法を絶対化する生き方から自由になったが、ユダヤ人に伝道するために、律法を大事に思うユダヤ人の立場を尊重した。そのことを「人の奴隷になりました」と言う。
私たちは隣人に福音を知らせたい、救いにあずかつてほしいと願っている。しかし、そうであればこそ、まず相手の立場を尊重することが求められる。キリストの福音を伝えるときに、その文化を絶対化はしないが、これを尊重する。
私たちは神を信じて自由な者にされたのであるが、まだ完全に自由ではないから、すぐに相手を否定したり、裁いたりする。そして、人々をキリストにではなく、自分の行為でつまずかせてしまう。そのような私たちであるから、神の前に立つ礼拝において、くりかえし罪を告白し、信仰を立て直していただかなければならない。パウロは信仰生活を競技にたとえて、途中で失格者とならないように節制し、天の国を目指して賞を得るように走りなさいと勧める。私たちはすでに神に捉えられた者であるが、信仰の歩みは途上にある。しかし、その途上の行き着く先は天の国である。この希望を抱いて、私たちは信仰に精進するのである。