5月30日「まだ、世の終わりではない」

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。(マルコによる福音書13章7節)

弟子たちはエルサレム神殿の壮大さに目を奪われていた。すると主イエスは、「この神殿は破壊されて、一個の石も他の石の上に積み残ることはない」と言った。彼らが驚いて、「そのことはいつ起こるのですか」と問うと、主イエスは今日の聖句を語った。

主イエスはこの世界に戦争、地震、迫害などが起こることは決まっていると言う。「決まっている」とは神の必然を示す。私たちは悲惨な出来事が起こると、何故このようなことが起こるのかと暗い気持ちになる。しかし、その原因が人間にあるにしろ、自然にあるにしろ、一切は神の御手の中にあると、主は言うのである。そして、これらのことが起こるのは世の終わりでも、終わりのしるしでもなく、神の国に生まれるための「産みの苦しみ」であると言う。神は悲惨な出来事によっても、人を「神の国」に招く。人は平穏無事な時よりも、苦難の時に、神に心を向けさせられるのである。

主イエスは、この世の一切の出来事は神の支配の中にあり、神はこれらを用いて御業をなされることを語り、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13節)と言った。私たちは苦難の背後に神の意思があると信じて、希望を持って耐え忍ぶのである。仕事、子育て、介護、闘病など、今の場所を神に遣わされた場所として留まるのである。逃げ出したくなる時がある。その時、神を仰ぎ、神の支配とご計画を信じて、そこに留まり、与えられた役割を果たすのである。この世の終わりを語る主イエスは、決して隠遁者(いんとんしゃ)でも、この世を敵視する教師でもなく、最後までこの世を愛し通された方である。それゆえ、主を信じ、主に従う私たちにとって、この世の生活は決してどうでも良いものではない。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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