5月12日「深く憐み、教え始められた」

イエスは...、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。(マルコによる福音書6章34節)

主イエスは弟子たちと舟に乗り、ガリラヤ湖の向こう岸に向かった。ところが、人々が追いかけて来るのを見て、舟を降り、岸に上がった。今日の聖句は、そこに待ち受けていた人々に対する主イエスの心情を伝えている。主は苦しみを背負って必死に救いを求める人々を深く憐れみ、そのような人々に「神の国」の福音を語ったのである。

時がだいぶ経ったので、弟子たちは主に人々の解散を進言した。これに対して、主イエスは人々を青草の上に座らせ、それから5つのパンを取り、天を仰いで祝福の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに配らせた。すると、5000人以上の人々が食べて満腹し、しかも、残りを集めると12の籠に一杯になった。主イエスの奇跡は、超自然的な力を示す業ではなく、病気やさまざまな問題を抱えて苦しみ、必死に救いを求めている人々に対する深い憐(あわ)れみの業であった。救いを求める思いと主の深い憐れみが相まって、奇跡は起きた。そして人々は憐れみ深い神に覚えられている自分を知る者となった。

主イエスは人々を深く憐れみ、裂いて分け与えたパンをもって、十字架の上で裂いて与えるご自分を示したのである。人のためにご自分の身を裂く主イエスの愛は十字架に極まっている。主イエスは「主の晩餐(ばんさん)」を制定し、今も、私たちにパンを裂いて与える。私たちは裂かれたパンをいただいて腹の中に入れる度に、主の愛が私たちの魂の飢えを満たすのである。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6・35)。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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