4月13日「良い知らせを伝える者の足は」

良い知らせを伝える者の足はなんと美しいことか。(口ーマの信徒への手紙10章15節)

主イエスは私たちの罪がもたらす十字架の裁きを、私たちに代わって引き受けて死んだ。神はこの主イエスを死者の中から復活させ、信じる者を救う主、キリストとして立てられた。すなわち、神はイエス・キリストを通してご自身の義と愛を現し、信じる者の罪を赦(ゆる)して、神の子として受け入れてくださるのである。この「良い知らせ」(福音)を聞いて、「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(13節)。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。主の名を呼び求めるのは、主を信じたからである。しかし、聞いたことのない方を、どうして信じられよう。主を信じたのは、福音を聞いたからである。しかし、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。福音を聞くことができたのは、福音を宣べ伝える人がいたからである。しかし、遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。福音を宣べ伝える人は、主から「全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさい」と命じられ、遣わされたからである。このように、神はすべての人が救われるために、福音を宣べ伝える人を遣わされる。

福音によって先に救われ、神の子とされた私たちは皆、主イエスによって全世界に遣わされる伝道者である。今、私たちが生活をしている場所は、主に遣わされている「世界」である。こうして、「神の声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」(18節)。神は伝道の働きをやめない。神は「反抗する民に、一日中手を差し伸べておられる」(21節)。福音を宣べ伝える者の足が「美しい」のは、伝道の働きが、反抗する民にも手を差し伸べる神の真実を映し出すからである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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