4月7日「将来、現されるはずの栄光」

現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。(ローマの信徒への手紙8章18節)

この地上には、病気、死、貧困、格差、紛争、自然破壊、文明の衝突、隣人同士の愛憎など、困難な現実が満ちていて、人類はうめいている。今すでに御霊(みたま)に導かれて神を「アッパ、父よ」と呼ぶ神の子たちも、人々にキリスト教の信仰を正しく証しするために、また自分自身の罪との戦いのために、うめいている。

被造物も、神の子たちの現れるのを切に待ち望んで、うめいている。自然界と人間は運命共同体である。地球が温暖化し、海の水面が陸地を侵食しつつあるという自然秩序の破壊は、人間と運命を共有する被造物の呻(うめ)きである。その被造物もまた、神の子たちと共に、虚無と滅びから解放される日を待っている。

[s_ad]

パウロは今日の聖句において、「現在の苦しみ」と「将来わたしたちに現されるはずの栄光」とを比べている。世界には困難な現実が満ちており、地球は破滅に向かっているようではあるが、決して希望がないのではない。神がイエス・キリストを通して、輝かしい未来を約束されたからである。神は今、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望む」(Iコリント13・7)愛をもって、未来を準備しておられる。その日、神は天地万物を更新し、その罪の体を完全に贖(あがな)った神の子たちを生まれ出でさせる。神の子たちが神の栄光にあずかるその日、地上のすべてのうめきは終わる。そのことを思えば、現在の苦しみは取るに足りない。現在、さまざまな困難に直面してうめいているが、「わたしたちは、このような希望によって救われている」(24節)。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

この記事もおすすめ