3月2日「だれの子だろうか」

あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。(マタイによる福音書22章42節)

ユダヤの人々は、イスラエルを再建する王となるメシア(救い主)を待ち望んでいた。人々は主イエスをメシア、ダビデ王の再来と信じて、「ダビデの子」と呼んだ。しかし、主イエスはダビデがメシアを「主」と呼んでいる詩編を引用し、メシアはダビデ以上の者、政治的な王以上の者であると語った。

人類は今日も、貧困からの救いを求めている。政治や経済の問題を解決して生活の安定を得ようとするのは、人間の当然の欲求である。しかし、それさえ解決すれば、人間の欲求は解決すると思うところに問題がある。そこで主イエスは、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4・4)と言った。人間は神の言葉によって生きるのでなければ、内なる魂の欲求は満たされず、その生活は空しい。神は私たちを空しい生活から贖(あがな)い出すために、メシアを世に遣わされた。主イエスはその十字架と復活によって、空しい生活から私たちを贖い出し、神に結ばれて生きる永遠の命を与えるメシアである。

主イエスは今日の聖句によって、「あなたたちが求めているのは、生活を安定させる政治的メシアか、永遠の命を与えるメシアか」と問うている。豊かで便利な生活を築くために、金銭を追いかけることが、本当に幸せな社会かと問うている。私たちを愛して、命まで捨ててくださった主イエスを神の子メシアと告白し、主の言葉に聞き従うことが、困難が伴っても、希望を抱いて生きる社会を作り出してゆくのである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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