2月7日「よい土地に落ち、実を結んで」

ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。(マタイによる福音書13章8節)

主イエスは神の国をたとえで語られる。「種をまく人が種蒔きに出て行った」(3節)。種とは、主イエス・キリストの福音である。「蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった」(4節)。道端とは、経験や知識で踏み固められて、福音を受けつけない人である。「ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯かれてしまった」(6節)。これは、福音を受け入れたが、「艱難(かんなん)や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である」(21節)。主イエスの助けを願うだけで、主イエスに従うということがないと、信仰は成長せず枯れてしまう。「他の種は茨(いばら)の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった」(7節)。これは、「御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である」(22節)。私たちはこの世の生活のためにさまざまな心遣いをしなければならないが、それだけに心を奪われて神の言葉を聞くことが後回しになると、信仰の実を結ばない。

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人」(23節)である。福音を聞いてこれを悟り、最後まで神を信じ、福音に根ざして生きる人は、豊かに実を結ぶ。その人は神の祝福にあずかるとともに、神の祝福にあずかる人々が起こされるために神に用いられる者となる。人はだれでも道端であり、石だらけであり、茨の土地である。そのような者が良い土地となるのは、土地を耕して、豊かに実を結ばせてくださる主イエスと結ばれて生さることによる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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