わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください。(マタイ6:11)
私たちの生活にとって食べることは欠かせない。私たちは生活の糧のために不安に襲われたり、人と争ったりする。そのような私たちに、主イエスは冒頭の祈りを教えられた。「日々の必要な糧を与えてくださるのは天の父である。だから祈りなさい」と主イエスは言う。
神は人の魂の問題だけにかかわられ、食べるという生活の問題にはかかわられないと思い込みやすい。しかし、万物の創造者である神は、私たちの魂だけではなく、私たちの全生活を支配しておられる。宗教改革者ルターは「必要な糧」として、食物、着物、家、仕事、配偶者、お金、健康、天気などを挙げている。まさに私たちは、日常のどんなことでも神に祈ってよい。
ある伝道者は、「集会に出かける時、駐車場が確保されるように祈った」と言っている。「そのようなことを祈るとは」と思うが、神にどんなことでも祈って行動する人は幸いである。神は私たちの祈りに耳を傾け、私たちに必要なものを選び分けて与えてくださる方である。天の父である神を信頼し、日常のどんなことでも祈る者は、思い煩いから解放される。
私たちが日常生活の必要を神に祈るのは、決して自己実現のためではない。神の御名が崇(あが)められ、御国が来ること、御心が行われることを祈り、私たちがそれに即して生活するために必要な糧を求めるのである。主イエスは、「何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6:33)と言った。冒頭の祈りは、神の国と神の義を求める者たちによる、神への信頼の祈りである。