天気予報でお馴染みのお兄さんが語る「神を信じるのと信じないのとどっちが得か」

おはようございます。
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◆1623年6月19日 ブレーズ・パスカルの誕生日

パスカルはフランスの科学者であり哲学者であり神学者でもあり、さらに発明かでもあり実業家でもあったという多彩な人でした。「人間は考える葦である」という哲学者としての言葉はあまりにも有名であり、また天気予報に出てくる「ヘクトパスカル」という単位はこのパスカルに由来しています。19歳の頃には徴税官であった父親の仕事を楽にするために、計算機を発明したりもしました。また彼が考案した「5ソルの馬車」という乗合馬車のシステムは今のバス運輸システムの始まりだと言われています。

このように多才な人だったのですが、体が弱かったことが唯一の弱点で、39歳の若さで天に召されてしまいました。彼は様々な分野で自身の思想を体系化して本に残そうと考えていましたが、それは果たせませんでした。しかし、その計画のための大量のメモは残されており、そのメモが集められたものが『パンセ』です。それには彼の思想の断片がこれでもかと詰め込まれており、後の多くの思想家に影響を与えました。基本的に一つ一つの断片は短いので読みやすく、現代で言えばSNSへの投稿を読むような感覚で読むことができます。

神学者としては、それまでの神学者のように「神はいるかいないか」「神とはどういう存在か」という切り口ではなく、「神は信じるに値するか」という切り口で考察を加えました。それは『パスカルの賭け』と呼ばれる思考実験に示されています。それは簡単に言えばこんなものです。

神がもし存在するならば、神を信じれば祝福されるし、信じなければ呪われるのだから、もちろん神を信じた方が良い。神がもし存在しないなら神を信じようと信じまいと祝福されることも呪われることもないのだから、信じても信じなくてもどちらでも良い。ならば神が存在するにせよ、しないにせよ、神を信じる方が信じないよりも有利だということになる。故に神は人間にとって信じるに値する。

これを読んだキリスト教徒たちは「なるほど!」と思いましたが、この思考実験には少し穴がありました。この思考の対象を「神」から他の何かに変えても、この実験は成立してしまうんです。例えばもちろん、「仏」に変えても成立しますし、なんなら「あの人が私を好きである」に置き換えても成立します。

あの人が私を好きならば、私はあの人を好きになれば両思いになってよくしてくれるだろうし、私が好きにならくても悪くはされないだろう。あの人が私を好きでないならば、私があの人を好きでいようと好きでなかろうとあの人の態度は変わらない。ならば私はあの人を好きでいた方があの人との関係はよくなる。

・・・とこんな感じです。つまりこの思考実験は「神を信じる意味」というよりも「何かを信じる意味」の価値を証明したものなんです。どんなことでも信じないより信じた方が得な可能性が高い。と、いうことです。

・・・もちろん、そんなに単純ではないですけどね、世の中。いくらパスカルがそう言ったからと言ってなんでもかんでも信じていたら騙されたりしてしまいますからご注意を。とはいえ、僕も、たとえ短いスパンでは騙されたり損をしたりすることがあったとしても、長いスパンで見れば「信じない人生」よりも「信じる人生」の方が幸せなのじゃないかと思っています。

それではまた明日。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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