おはようございます。
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◆2月5日 笑顔の日
ニコニコ(2525)の語呂合わせ、ということで今日は笑顔の日です。と、いうわけで今日は聖書と笑顔の関係について少しだけ書こうかと思います。
聖書には何十回も「笑う」という単語が登場します。しかし実はその多くはあまり良い意味ではありません。もちろん純粋に「笑顔になる」という意味の「笑う」もあるんですが、それよりもずっと「あざ笑う」とか「笑いぐさ」とかそんなニュアンスが多いんです。
そしてちょっと意外なことにイエス様が笑ったという記述は一度もありません。ではイエス様はずっとムスッとしていて笑わない人だったのでしょうか。そんなことはないと思います。なぜなら神様は僕たちに「喜びなさい」と命じる方ですし、ご自身も喜ぶ方だからです。聖書には「喜ぶ」という語が「笑う」の約10倍も出てきます。
これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。(マタイ3:17)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(Iテサロニケ5:16〜18)
喜べば自然と人は笑顔になります。笑顔のあるところに必ず喜びがあるとは限りませんが、喜びのあるところには必ず笑顔があります。笑顔は良いものだと言っても、それが「あざ笑い」や「笑いぐさ」であってはいけません。ですから聖書は僕たちに「笑え」ではなく「喜べ」と言っているんです。
無理に笑おうとしなくてもいいんです。それよりもどんなに小さくても良いですから喜びを丁寧に見つけることが大切なのかと思います。コーヒーがおいしいでも、風が気持ちいいでも、道端できれいな小石を拾ったでも、なんでもいいです。どうか喜びの多い一日をお過ごしください。
それではまた明日。

MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。