倍返し、キリスト教ではダメなんです。 〜「目には目を」の本当の意味〜

今日もクリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

◆1970年12月8日 半沢直樹の誕生日

2013年に数々の賞を総ナメにし「倍返しだ!」のセリフが流行語大賞にも選ばれたテレビドラマ『半沢直樹』が、2020年も再びお茶の間を盛り上げてくれました。今日、12月8日はドラマの設定上、その主人公の半沢直樹の誕生日なんだそうです。

さて、その名ゼリフ「倍返しだ!」にスカッと気の晴れる方も多いかと思いますが、実はこのセリフ、クリスチャン的にはスカッとしつつも、ちょっともやっともするものだったりします。と、いうのもキリスト教では人が人に復讐(ふくしゅう)することは禁じられているからです。

え、でも聖書にも「目には目を、歯には歯を」なんていう復讐を勧めるような物騒な言葉も書いてあるじゃない?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの聖句はむしろ復讐を抑制するためのものです。当時は法律が今のように整備されていなかったので、たとえば「殴られたから目を潰してやった」とか「歯を折られたから殺してやった」とか、過剰な復讐が横行していて、それこそ「倍返し」の世界が繰り広げられていたんです。そこで「目を潰されたなら目を潰し返すだけにしなさい」「歯を折られたなら歯を折り返すだけにしなさい」と復讐を「一倍返し」に制限したのが「目には目を」の聖句の本当の意味なんです。

さらにしかも、そのルールが適用されていたのは旧約聖書時代までの話で、イエス様以降の新約聖書の時代では「悪いことをした人を裁くのは神様の仕事だから、人間が裁くのは越権行為でよくないことだ」という教義が広まり「一倍返し」であっても「復讐はよくない」というルールが適用されるようになったんです。

そんなわけで半沢さんの「倍返しだ!」を聞くたびに「やめてあげて・・・」と思ってしまうクリスチャンは少なくないんです。

・・・とか言いつつしっかり毎週観て楽しんでいたりもするんですけどね。クリスチャンだって、いくら復讐を禁じられていたって、スカッとしたい時もあるんです!!

こんなこと言いながら、僕だって嫌なことされたら「タバスコ水鉄砲で狙撃してやりたい」くらいは思うことがあります。神様ごめんなさい。

それではまた明日。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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