アメリカにおけるマイノリティー・レポート 姜 善芽 【この世界の片隅から】

人種差別とは、ある人種が他の人種よりも優れている、または劣っているという信念に基づき、他の人種に対する偏見、差別、または敵対行動を含むものである。人種差別は、個人の態度に限らず、制度的な政策や社会的な規範など、さまざまな形で現れてきた。アジアでは、自己中心的な民族主義とその定義が異なることがよく見られる。さまざまな研究が指摘するように、コロナ禍以降、人種差別、特にアジア系へのヘイトは都市部だけでなく、中小コミュニティでも頻繁に見られるようになった。それ以降、白人至上主義を中心に、他の人種に対する差別問題が注目され始めた。

合同メソジスト教会の正教師はビショップ(監督)による任命に従うことを基本にし、たいていの場合、初任地は田舎の小さなコミュニティに派遣される。私が派遣されている場所も中規模の白人コミュニティであり、外国人の担任牧師を迎えるのは歴史的な出来事であった。赴任して1年も経たたないうち、私の家族は何人かの中学生たちから人種差別的な発言を大声でされるようになった。何度も続く嫌がらせに私たちは学校や教育長にも知らせたが、学校で行われたものではないという理由で支援を受けることはできなかった。結局、警察に報告し、警察が学生たちに注意を促すまでだった。これまで暗黙のうちに差別を経験してきたつもりの私の家族は、この出来事でただ無力感を感じるばかりだった。「社会的死」という概念でも説明できるように、私たちは単に気分を害されたのではなく、物理的な安全も心配するようになった。

合同メソジスト教会は人種差別がキリスト教の教えに反する悪であると強く戒めているが、他の教会ではこれに共通する理解が得られない現状である。例えば、「人種差別などあり得ない。なぜなら神はすべての人類を同じイメージで造られたので、ホワイトもブラックもない」と言葉ではそう言いつつも、実際には無関心な立場を取る教会もある。

興味深いことに、合同メソジスト教会内の韓国人牧師たちの反応は異なる。韓国人教会に派遣されている韓国人牧師たちは、こうした問題にあまり関心を示さない。実際、人種差別の経験が乏しい私の韓国人の友人や家族は、私の家族が強くなって乗り越えるようにという助言をしてくれるのみだった。

しかし、他の人種の教会に派遣されている韓国人牧師たちは私たちの経験を共有し、苦しみを理解してくれた。彼らから励まされて、私はようやく前に進むことができた。まず、同僚の牧師たちをコミュニティ・フォーラムに招き、ラベリングを超えて多様性を受け入れるコミュニティを作り上げることについて話し合った。また、今すぐに変化をもたらすことはできなくても、努力を続けることの意義についても考えた。さらに、近隣の韓国人牧師たちを集めて、音楽や物語、食事を通して多様性が神の祝福であることを感じる機会を設けた。

その中で「異なる国や文化から派遣される牧師を迎える教会にアドバイスはありますか?」という質問に対して、牧師たちは「共通する経験をもっと共有し、理解し合うこと」「違う視点に注意を払うこと。そこに神の働きが本当に現れるのですから」「新しい経験を積極的に求めること。なじみのない環境で経験した違和感や不便さを活かして、他の人々とのつながりを大切にしてほしい」といった、有益なアドバイスを提供してくれた。

「キリスト者としてどう生きるか」。時代を超えて常に問われてきたこの問いに応えるべく、さまざまな献身者たちが登場してきたように、今日、私たちもこの問いに真剣に向き合うべきではないだろうか。ヘイトスピーチや分断が日常化しつつあるこの時代に、私たちキリスト者はいかにして神様の呼びかけに、私たちの生き方をもって応えられるのだろうか。その際、私たちの生き方はどのようにあるべきだろうか。自分とは異なるものへの理解と共感、そして連帯して共に難関を乗り越えようとする意志こそが、私たちに求められているのではないか。

カン・ソナ 東京神学大学神学部卒業、韓国メソジスト神学校と米国の南メソジスト大学にて修士号、米国のガレット神学校にて旧約神学専攻で博士号取得。北イリノイ州の合同メソジスト教会で按手を受け、担任牧師として赴任し現在に至る。

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