4年ぶりの対面開催となった日本基督教学会(9月6~7日開催、於:上智大学)において、金城学院大学准教授・宗教主事の松谷曄介(まつたに・ようすけ)さんの著書『日本の中国占領統治と宗教政策:日中キリスト者の協力と抵抗』(2020年、明石書店)が第6回日本基督教学会賞を受賞した。学術的な高い評価だけでなく、「著者の中国への関心と愛が、本書を貫き」といったことも受賞理由に挙げられている。「大学時代を含めると20年近い年月をかけたライフワークの一つなので、こう評価されたことが何よりも嬉しい」と松谷さんは話す。
同書は、日中戦時下の中国におけるキリスト教界の実態を明らかにし、これまでほとんど研究対象となってこなかった中国キリスト教史の一断面を明らかにした学術書。2012年11月に北九州市立大学に提出した博士論文に加筆・修正を加えて19年に出版され、既にキリスト教史学会賞(20年9月)および国際宗教研究所賞(21年2月)も受賞しており、アカデミックの世界では珍しいトリプル受賞となる。
生まれた時からすでに中国との関係は深かった。名前に当てられた「曄」は、中国で宣教をしたかったという父親の願いが込められている。実際に中国のキリスト教に関心を持ったのは大学時代。中国に留学し、そこで若いクリスチャンや、牧師などと交流を持ち、革命や戦争など大混乱の時代を経て共産圏といわれる中でありながらも、生き生きと熱心に活動する教会の姿を目の当たりにした。当時の中国に比べたら日本は豊かで自由なのに、どうして教会は振るわないのか。そんな疑問が中国のキリスト教研究へと向かわせた。
「中国と日本の教会をつなげたい」。
中国のキリスト教を調べる中で常に心にあったのはそんな思いだった。大学卒業後そのまま大学院には進まず、神学校に入学したのも研究のためだけに中国のクリスチャンと関わることはできないと思ったからだ。中国の教会を研究することは、日本と中国の教会をつなげることが第一の目的で、研究はその手段。「中国の教会を外から眺めるだけでなく、教会の中に身を置いて、中国の教会のことをもっと知りたい」。もちろん日本の教会に仕えたいという願いはあったが、この思いは神学校に進む大きな後押しとなった。
神学校でも「中国愛」全開だった。ただ、当時は教会でもアカデミックの神学界でも今ほど東アジアについて関心は向けられていなかった。神学校に入学してすぐに大御所といわれていた神学者から「松谷くん、どういう勉強をしたいの?」と聞かれ、「中国のキリスト教のことをやりたいと思っている」と答えると、「亜流の神学をやるのはやめなさい」と言われてしまうほどだった。
「悪気ではないと分かりつつも、隣の中国のキリスト教のことを亜流の神学とか呼んでしまう。それはなんだろうということが、その時から私の問題意識としてずっと残っていました」
神学校卒業後、北九州市の教会に赴任するが、「日本と中国の教会をつなげたい」と祈るなかで与えられたのが、地元にある大学院への進学だった。そこで、中国キリスト教の歴史について研究を深めていった。牧師と研究者という2つの身分を行き来しつつも、その根底に流れていたのは、日本と中国の教会をつなげたいという祈りだった。
「牧師と研究者の2つは、自身にとっては切り離せないアイデンティティーであり、研究のモチベーションは信仰でした」
研究の道がさらに開いたのは、中国新鋭の神学者・王艾明(ワン・アイミン)氏との出会いだ。来日した王氏と通訳・翻訳などをとおして親しくなり、中国の内部事情やこれからのことを話していくうちに、歴史のことを研究し、そこから現代や未来のことを考えるためには、中国現地にもっと自分が入り込み、言葉をもっと理解し、人間関係を構築しなくてはいけないと思った。そこで香港と中国大陸で在外研究することを決めた。3年間の在外研究は、原文での資料の読み込みや、当事者関係者へのインタビューなど同書の完成に向けた研究をさらに進めただけでなく、中国や香港の教会との重厚な関係を築く機会ともなった。
現在は、中国キリスト教研究の第一人者としてキリスト教主義学校に籍を置き、活躍の場を広げているが、牧師と研究者の2つのアイディンティーを持ち続けていることに変わりはない。牧師としても研究者としても二流にならないようにしてきた松谷さんにとって、日本基督教学会賞を受賞したことは大きな意味がある。日本基督教学会賞は、キリスト教関連の学会の中で最も教会にも近い学会といわれているからだ。「ここで評価されたことで今までの教会での働きと自身の研究活動の両方が認めてもらえたのかなと。20年間の苦労が報われた感じがしています」と胸の内を明かす。
一方、「亜流」の神学といわれていた中国キリスト教研究がこれほど評価されたことは、学会が多方面に対応するようになってきたことと、これまで研究する人が少なかったことを挙げる。中国に比べ、台湾や韓国のキリスト教への関心が以前から高いのは、日本語ができる世代がいたことや人間関係があったことなど植民地時代の遺産が有利に働いていることがある。
それに比べ、戦後の日本と中国のキリスト教関係が結びつく歴史的な要因は乏しく、さらに言語の壁もあり、結果的に中国のことをやる研究者は少ないといえる。同書はそんな不利な状況の中で生まれた書物で、キリスト教学界においても二次文献として今後の中国研究に大いに貢献していくことが期待されている。
また、同書の第三部は戦時中の日本のクリスチャンと中国のクリスチャンらの人物研究となっているが、これまでの中国占領地研究や植民地研究とは違った視点で分析されている。そのことについて松谷さんはこう述べる。
「中国占領地や他の日本植民地に対する研究は、その多くが贖罪の意味も含め語られ、自分たちが何をしたかに留まりがちで、それが相手の国(人)にどうだったかにまでは踏み込んでいません。日本がいかに悪かったか、中国のキリスト教会が帝国主義や国家主義にいかに妥協していったか。これは事実ではありますが、そちらばかりに関心がいくと、当事者たちがその時どのように思い、実際はどう行動していたかを見落としてしまいます」
歴史で大切なのは人間のつながり。しかし、歴史の一つの問題点を自分たちの視野の範囲の中だけで完結させていてはそのことを知ることはできないとも話す。
2020年から「香港を覚えての祈祷会」をやっているが、それを続けられるのは、そこに関わる友人がいるからだ。社会ではさまざまな問題が起きているが、関わりがなければ祈りは続かない。「中国や香港の教会との関係をどうして大事にしたいのかというと、関係がないと関心が生まれないし、関係がないと関心が続かないからです」と話す。祈り続けるためには関わりを持つ、関わりを持つからこそ祈り続けるのだとも。
20年間宣教と研究を同時にやってきて、研究面では成果が出せたが、宣教の実践についてはやりきれていない面が大きいと明かす。日本と中国の教会との関わりを具体的に動かして、日本の宣教を前に進めていきたいという動機は全く変わらないが、ただ今は中国大陸や香港の政治上の問題などで身動きできない状況だ。研究が評価されながらも、やりたいと思っていたことができないことへの虚しさと戸惑いが残る。それでも、かつて宣教の課題として日本と中国が互いに取り組む中で生まれた人間同士のつながりと、そこから生まれた祈りが、今後の活動を支えていく。