【クリスチャンな日々】第9回 日曜日は「心のゴミの日」 MARO 

 

主の御名をあがめます。

皆様、ごきげんいかがでしょうか。MARO です。

やっかいなウイルスが流行して、仕事でも学業でも思うようにいかないことが多くて、ストレスの溜(た)まっている方もいらっしゃるかもしれませんが、春はすぐそこですから、少しでも心を軽くしてまいりましょう。よろしくお願いします。

さて先日、急にパソコンの調子が悪くなってしまいました。どんなソフトでどんな仕事をさせてもやたらと反応が遅く、原稿を書くのだって、「これなら手書きのほうがずっと速いよ !!」というくらいでした。「原因は何ぞやー?」と、小一時間、あれこれと再起動やらメンテナンスやらの対応をしたのですが、一向によくなりません。

「これは困った。仕事がにっちもさっちも行かない……」と思ったところで、ふと画面の端っこの「ゴミ箱」フォルダが目に入りました。「もしや!」と思って、そのフォルダの中身を全消去してみましたら、あら不思議、あんなに調子の悪かったパソコンは元気を取り戻し、またバリバリ働いてくれるようになりました。いらないデータがそこに溜まりに溜まって、それで調子が悪くなっていたんです。

僕は、いらなくなったデータを「ゴミ箱」に入れると、それですっかり忘れてしまいがちなんですが、それって、家庭のゴミをゴミ袋に入れたままゴミ捨て場に持っていかず、室内に放置するようなものです。そんなことを続けていたら、部屋はどんどん荒れ果てていき、やがては住むにも困るようになってしまうでしょう。それと同じことをパソコン上で僕はやってしまっていたわけです。

さて、部屋やパソコンのことなら、「私はきちんと整理しているから大丈夫。ゴミ捨ての曜日を忘れることもない」という方も多いかもしれませんが、そんな方でも意外と忘れてしまうのが「心のゴミ」の問題です。「心のゴミ」って、ストレスとかモヤモヤとか嫌な記憶とか、そんな有象無象(うぞうむぞう)のことですけれど、皆さん、これの処分をきちんとやっていますか。今、「何だかよく分からないけど気が晴れないし、いろいろと調子が悪い」という方はいませんか。

もしかしたらそれ、「ゴミ箱」を空にしたら解決するかもしれません。「いらないデータ」が僕のパソコンのパフォーマンスを著しく落としていたように、「心のゴミ」がいつの間にやらたくさん溜まって、あなたのパフォーマンスを落としてしまっているかもしれません。

「じゃあ、ストレス解消だ !! お風呂だ、お酒だ、カラオケだ!」と、それも確かに悪くはありません。しかしそれって、「いらないデータ」を「ゴミ箱」に入れて目に入らなくしただけで、「ゴミ箱」の中にはまだそれは残っているかもしれません。根本的解決にはなっていないんです。

では、根本的に解決する、「ゴミ箱を空にする」ためにはどうしたらいいのでしょう。

その一つの答えが、クリスチャンのする祈りや礼拝だと思います。これは僕の個人的な感覚ですけれど、日曜日の礼拝の終わった後は心がすっきりするんです。このすっきり感は、お風呂だとか、カラオケだとか、そういったもので得られるものとはまったく別次元のものです。

時々、日曜日なのに礼拝に出られない時もあったりします。別に1回や2回、礼拝に出なかったところで、すぐに何か調子が悪くなることはありませんが、しかし確実に少しずつ何かトロトロンとしたものが心に溜まっていくのを感じます。

そのトロトロンが、礼拝に行くとスッと消えてなくなるんです。毎週ちゃんと礼拝に出られている時でも、1週間のうちに何か大きなストレスを受けたりすると、「あー、早く礼拝したい! すっきりしたい!」という気持ちになることもあります。

人同士でストレスを打ち明け合ったり、過去の嫌な記憶を慰め合ったり、そういうことでも確かに「心のゴミ」問題はある程度は解消します。しかし、そういう人間の営みには反対に、その営み自体が新たなストレスとなってしまったり、ほかの人の悪い感情をもらってしまったりと、ネガティブな面もあります。人は、誰かほかの人の「心のゴミ」の「最終処分場」にはなれないんです。自分の「心のゴミ」の「最終処分場」になってくれることを人に期待するのは、ちょっと酷なことなんだと思います。

しかし神様は全知全能の無限の方ですから、その「最終処分場」になってくれますし、ほかに「最終処分場」になれる存在はないんです。もっと正確に言えば、「リサイクルセンター」と言えるかもしれません。神様はあらゆることを益としてくださる方であると聖書に書いてありますから、「心のゴミ」も例外であるはずはなく、それも益に変えてくださいます。

そんなわけで、僕は基本的に毎週日曜日には礼拝に行くわけです。火曜と金曜は燃えるゴミの日、水曜日は燃えないゴミの日、そして日曜日は心のゴミの日というわけです。

きちんと捨てて心のパフォーマンスを保ちましょ。特に今は皆様、「ゴミ」の溜まりやすい時期かと思いますから、あんまり溜めちゃう前に、マメにまとめて捨ててしまいましょ。

皆様に豊かな主の護(まも)りがありますように。

それではまたいずれ。主にありて。MARO でした。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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