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教会の掲示板に「日曜日の礼拝は教会員のみで行います。誠に申し訳ございませんが、日曜日を含め会堂内へのお立ち寄りはご遠慮ください。」と張り出したのは、昨年4月のことであった。道行く人がどのように受け止めてくださったかは知る由もないが、まさに苦渋の決断、いや断腸の思いで張り出した。「いつでも、どなたでもお越しください」というこれまでの在り方を否定する掲示だったからである。ただ、同時に「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)との聖句も掲示したのだが、それが当時の私が、道行く人に出来る精一杯の気持だった。未曽有の状況だけに、本当に掲げたかった聖句は違うものだったのだけど・・・。
今、会堂の入り口の皇帝ダリアが次々と花開いている。薄紫の花を、2mを優に超える大きな茎に沢山咲かせ、道行く人も足を止めて見上げておられる。咲き始めの時に私も写真を撮り、教会の皆様にもデータを送った。しばらくしてその写真を見返してみたら、なんと鐘撞堂(かねつきどう)の先端の十字架の上に、カラスが一羽止まり、羽を休めている瞬間の写真であった。カラスが止まっているのは時折見かけるので、恐らく同じカラスではないかと思っている。四方八方を見渡せる場所、何よりも他の仲間に邪魔されずに羽を休めることができるお気に入りの場所が十字架のテッペンなのだろう。十字架の上というのは少し気に入らないが、教会は心休まるところであることを、あのカラスが一番知っているのだと思えば腹も立たない。むしろ十字架に止まるカラスに気付いて、「ここはいつでも誰でも心を休ませられる場所なのだ」と思ってもらえたら嬉しいことではないか。偶然ではあったが、十字架で羽を休めるカラスは、「もうそろそろあの聖句を掲げてみたら」と私に告げているのかもしれない。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)ここはあなた方が羽を休める場所だと、この聖句は教えてくれている。キリストが私たちの重荷(辛さや苦しみ)を共に担ってくださっていることを知ることができるからであり、キリストを知ることで私たちの心が安らぐからにほかならない。
聖句を掲示しながら、十字架を見上げたが残念ながらカラスの姿は見つけられなかった、「今なら愛おしい思いで見つめてあげられるのに」と思っていたのに・・・。