イースター(復活の主日)を来週日曜日に控える中、フランスのパリ中心部にあるカトリックのパリ大司教座聖堂であるノートルダム大聖堂で15日午後7時ごろ(日本時間の16日午前2時ごろ)、大規模な火災が発生した。
現地メディアによると、教会の天井のほとんどが焼け落ち、屋根の中央にある尖塔(せんとう)は焼け崩れたが、現在も鎮火のめどはたっていない。直径13メートルの薔薇(ばら)窓のステンド・グラスなど、貴重な芸術作品の数々がどうなるのか心配される。当時は大規模な改修工事が行われており、その足場付近から出火した可能性があるという。
AFP通信によると、火災は午後6時50分ごろに発生したと消防当局が説明する。現場では数カ月前から、大気汚染で汚れた聖堂をきれいにするための改修工事が行われ、屋根に取りつけられた足場部分から燃え広がった可能性があるという。火は屋根付近を中心に燃え広がり、屋根を支えていた木製構造物が燃え崩れ、出火から1時間後には、高さ93メートルの尖塔(せんとう)も崩壊した。
エマニュエル・マクロン仏大統領は自身のツイッターで、「私たちの一部が燃えるのを見るのは悲しい」とコメントした。15日夜に予定していた政策関連のテレビ演説も中止し、ブリジット夫人とともに現場を見舞った。
アンヌ・イダルゴ市長も自身のツイッターで、「消防が出動して消火活動にあたっており、私たちも教会の大司教と連携して事態の収拾にあたっている。立ち入り禁止区域に近づかないように」と呼びかけた。
エマニュエル・グレゴワール副市長はBFMテレビに対し、「尖塔は内側に崩れ落ち、大聖堂は甚大な損傷を受けた。救援隊員らが救い出せるすべての芸術作品を救うために奔走している」と述べた。
同日夜、現場で記者会見したローラン・ヌニェス内務副大臣は、「ノートルダムを救えるのか、現時点では見通しが立たない」と語った。消防士数人が負傷したという。
セーヌ川に挟まれたシテ島に建つノートルダム大聖堂は1991年、周辺の歴史的建築物などとともにユネスコの世界文化遺産に登録された。年間1200万人が訪れる観光名所として知られ、日本人観光客も多く訪れる。
「ノートルダム」とは仏語で「私たちの貴婦人」(聖母マリア)のこと。ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になって知名度が上がったことで、1843年、大聖堂の全体的補修が決定された。1804年にはここでナポレオン・ボナパルトの戴冠式が行われ、2015年にはパリ同時多発テロ事件の追悼ミサが執り行われた。
大聖堂は1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって着工され、1225年に完成、最終的な竣工は1345年だ。全長127・5メートル、身廊の高さは32・5メートル、幅は12・5メートル。大聖堂内には9000人収容できる。