ライフ・エンディング・フェア2019(主催:クリスチャン・ライフ・エンディング・ネットワーク協会)が14日、大田区産業プラザPio(東京都大田区)で開かれ、約150人が集まった。
会場には15社の出店ブースが並び、遺品整理や相続コンサルタント、後見人制度などを専門とする行政書士、自分史作成企画、ペット葬儀案内、牧師派遣会社などの情報が提供された。
2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になり、高齢者人口が全人口の30%を超えるという「2025年問題」。その中で、日本における従来の葬儀文化に大きな変化が現れている。家族葬や直葬が主流となり、共同墓への埋葬や散骨などの選択も可能だ。これらの変化にキリスト教はどう寄与できるのだろうか。
まず、ライフ・エンディング実行委員長の野田和裕(のだ・かずひろ)さんはこう語った。「終活は決して後ろ向きなことではありません。終わりを見据えて動くことは、前向きに大胆に生きていくこと。明日へと生きることにつながる終活のあり方をぜひ見つけてほしい」
続いて、宗教学者の島田裕巳(しまだ・ひろみ)さんによる特別講演会「2025年問題から考えるキリスト教葬儀の可能性!?」が行われた。
島田さんは日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。作家としても活躍し、著書『葬式は、要らない』(幻冬社)は30万部を超えるベストセラーになった。
島田さんは最初、先進国に死生観の変化があることを指摘した。平均寿命が延びたことで、「いつまで生きられるか分からないから、とりあえず死ぬまで生きる」から、「自分の人生の長さを想定できるようになり、そこから逆算して生きる」へと変わったというのだ。それによって宗教離れがそうとう進んでいるという。
「仏教もキリスト教もイスラム教も、『現世は苦しいが、来世は素晴らしい世界で、現世の行いが来世に影響する』という考えが根幹にあります。そのために以前は宗教が重要な役割を果たしていましたが、今は昔に比べて、生きることに喜びを感じることが多いわけです。幸福に生き、『大往生』できる世の中になってきた。遺族も死を受け入れやすい状況になっている。そんな中で宗教は必要なのかが問われます」
葬儀の簡略化もかなりのスピードで進んでいるという。以前なら、家が主体となって葬儀をし、先祖代々の墓に入れ、その後、節目ごとに供養をしていた。しかし今は、一つの世帯は50年くらいで消滅し、日本人の平均寿命よりもずっと短く、家がいろいろな機能を果たせなくなってきたのだ。
また、キリスト教が日本社会の中で広がっていかなかった原因の一つとして、家族を取り込むことができなかったことを挙げた。家庭全体がキリスト教に変わらないと、信仰が受け継がれないという。その一方で、「死んだ後、どこにいくのか」ということを考えたとき、「家族と一緒になれる」という安心感から、死の直前にキリスト教に改宗した評論家の加藤周一の例を伝え、「死後の世界を考えたとき、最後は、家族の信仰がどうなっているかが大きな決め手になる」と話した。
さらに、若い人が不慮の事故や病気などで亡くなった場合、どう弔(とむら)っていけばいいのかが逆に大きな問題になっているという。「そういう時こそキリスト教葬儀に可能性があるのではないか」と問いかけ、次のように締めくくった。
「長く生きることを前提とした社会では、どう生きるべきか、今の段階でそれぞれが考えないといけない状況にあります。それを考えないと、先々の不安だけが増していくことになります。私たちはそういうことを考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか」