キリシタンの戦国武将・黒田官兵衛とゆかりの深い広峯神社(兵庫県姫路市)の境内に「官兵衛神社」が建立される。神社の本殿裏に社殿(約18平方メートル)を建て、8月下旬には完成の予定だ。2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で岡田准一が主役を務めて注目されたが、放映後も、歴史好きの女性、いわゆる「歴女」など、年間約20万人が参拝に訪れるという。
戦国時代、官兵衛の祖父・重隆が同神社の神符(おふだ)に添えて黒田家秘伝の目薬を売り、財をなしたといわれる(江戸時代の講談本『夢幻物語』による)。官兵衛も姫路に生まれ、幼少期、このあたりで暮らした。
やがて官兵衛は織田信長に仕え、本能寺の変の後、豊臣秀吉に「天下を取るチャンス」とアドバイスし、当時戦っていた毛利氏との和平を成立させて「中国大返し」を成功させる。官兵衛の受洗は1584、5年頃。高山右近などが伝道し、秀吉のお膝元(ひざもと)である大坂教会で宣教師から洗礼を受けている。当時はまだ秀吉も、信長と同じくキリシタンを優遇していたのだ。
ところが87年、宣教師が日本侵略をねらっていると猜疑(さいぎ)心に駆られた秀吉はバテレン追放令を出し、官兵衛にも棄教を迫る。しかし、官兵衛は通説とは違い、宣教師が残した史料によると、死ぬまでキリスト教信仰を捨てず、キリシタン大名として大きな影響力を持ち続けた。そうした誤解が生じたのは、江戸時代の禁教期、日本国内でだけ史実がねじ曲げられていたためだ。
官兵衛が軍師でありキリシタン大名でもあったことから、社殿に安置する「神器」に選ばれたのが日本刀と十字架。その製作を広峯神社から依頼されたのは、姫路の伝統工芸品「明珍火箸(みょうちんひばし)」で知られる明珍家で、その52代当主である宗理(むねみち)さん(76)の次男、宗裕(むねひろ)さん(44)と三男の敬三(けいぞう)さん(43)が手がけることに。明珍家は、戦国時代に栄えた甲冑(かっちゅう)師で、江戸時代に姫路に移り住んだ。その特徴は、鉄の鍛(きたえ)がよく、堅牢(けんろう)で実用的であったことから、明治以降は火箸の制作に転じ、現在は、つるした火箸が触れ合って澄んだ音色を出す「火鉢風鈴」で親しまれている。
宗裕さんは刀工として、新作日本刀・刀職技術展覧会で金賞、経済産業大臣賞などを受賞しており、今回は島根県産の玉鋼(たまはがね)を使った日本刀の製作を計画している。敬三さんは火箸風鈴づくりのほか、新素材のチタン製のドアチャイムや大鉢の製作にも取り組んでいることから、チタンを使った十字架を考えているという。