真の「開拓伝道状態」に戻ろう 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

神学生時代、教会の将来を憂えたある人の言葉を聞きました。「多くの教会はこれから『開拓伝道状態』に戻るだろう」と。その時、私は「なるほど」と思いましたが、月日が経った今、この言葉は当を得ていないと感じています。確かに人数や財政の面からすれば、教会は遅かれ早かれ自ずと「開拓伝道状態」になるのかもしれません。しかし、そこには本当の「開拓伝道」と決定的に異なる点があるのです。

それは、歴史と伝統のある教会の多くが「過去の栄光」を知ってしまっているということです。「昔は青年がたくさん集まっていた」「あのころは受洗者が前に並びきれなかった」「かつては教会学校に子どもたちがあふれていた」――。このような過去の栄光が、いつしか隠れた〝見栄〟となり、知らず知らずのうちに教会に密かな慢心をもたらしてはいないでしょうか。「そんなことはない」と思うかもしれません。しかし、この病は自覚しづらいのです。では、教会がこの病にかかると、どのような症状が現れるのでしょうか。代表的な症状を一つ挙げてみましょう。それは、ずばり「祈祷会の衰退」です。

まさしく「開拓伝道状態」だった使徒言行録第4章の教会の人々は、自分たちが危機的状況に陥ったことを知らされた時、どうしたでしょうか。「これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声を上げて言った(4:24)」と記されています。まるで条件反射のように、すぐさま皆で祈り始めました。なぜでしょうか。単純な話です。彼らには勝ち目がなかったからです。問題に対処する手立ても、権力者に太刀打ちできる武力も財力も、そして「すがりつくべき過去の栄光」も何一つありませんでした。だから空っぽの手を挙げ、神様に向かって声をあげる以外に選択肢がなかったのです。失うものが何もないからこそ、恥も外聞もなく声をあげ、見栄も体裁もなく祈りに専心できたのです。これこそが、真の「開拓伝道状態」の教会の姿ではないでしょうか。

私は、宮崎でも三重でも地方教会の現実を間近に見聞きしてきました。かつては活気に満ち、多くの伝道者を輩出したにもかかわらず、今では礼拝出席者がわずか数名になってしまったある教会。その教会の開拓伝道期、牧師は毎日のように近くの海岸に出かけて叫び、祈っていたといいます。なぜでしょうか。伝道を推し進めるために、何が何でも神の助けが必要だったからです。会堂のために目ぼしい土地を見つけた時には、教会員がその周りを練り歩いて祈ったそうです。なぜでしょうか。自分たちには金や銀がなかったからです。礼拝前には全員で声をあげて烈火のごとく祈ったそうです。なぜでしょうか。過去の栄光の上にあぐらをかくことのできない開拓教会にとっては、1回1回の礼拝が文字通りすべてだったからです。

先日も、東北で長年開拓伝道に従事してきた伝道者の話を聞きましたが、その証しにもやはり祈りと奇跡の体験が満ちあふれていました。やはりそうなのだと確信を深めました。今、教会は本当の意味で「開拓伝道状態」に立ち返ることができるかどうか、真剣に問われていると思います。それは決して容易なことではありません。しかし、教会が過去の栄光に死に、見栄も体裁も手放して、聖霊に助けられてひたすら神に祈る「開拓伝道状態」に戻ることこそ、教会に残された唯一の活路であると私は確信しています。

やまぐち・げんき 1983年神奈川生まれ群馬育ち。17歳のクリスマスに受洗し、19歳で東京神学大学へ。日本基督教団都城城南教会(宮崎)を経て2020年春から日本基督教団山田教会(三重)牧師、常盤幼稚園理事長、園長。最近の趣味は捨て活、サ活、あてなきドライブ。

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