【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 ガリラヤ湖を必要とする人たちへ 富山希望 2025年1月21日

私どもの教会は、田んぼの真ん中にある赤い屋根の教会です。これは比喩ではなく、本当にそっくりそのまま、そうなのです。周囲の田畑は四季折々の姿を見せ、少し先には曽根干潟と呼ばれる干潟があり、目の前の川岸には、春には桜が咲き乱れる。目を上げる時、主がともにおられることを感じます。喧噪に疲れている方は、ぜひお出かけくださいと言いたくなる気持ちです。

私の願いとしては、私どもの教会が「ガリラヤ湖のほとりのような」場所になってもらえればいいな、とそのように思います。人が中央へと向かっていく時、人が減っていくことを思う時、先を憂えるとそういう気持ちが浮かぶのは、その通りだと思います。教会の老朽化や、信徒の高齢化、不安なことは多くあります。だからといって、途方に暮れる気持ちでいたくないのです。教会こそ、イエスがおられる「ガリラヤ湖のほとり」だからです。

新しい情報を求めて生き急ぐ人の多い今、先を思い悩み、疲れを覚える人がたくさんいると思います。そのような人たちがリラックスできる教会に、たいへんなことがあっても「笑って過ごせる」教会に。イエスのみ言葉を聞き、その恵みにあずかり、小さな群れであったとしても、そこが、信仰と祈りと賛美で満ちあふれる「ガリラヤ湖のほとりのような」、イエスがそこにおられると感じられるような、場所になってほしいと切に願っています。

そのために大切なのは礼拝を守り、祈祷会を大切にし、地区の交わりや信仰が強められる集会に、信徒の方たちと参加する。交わりを大事にし、祈り、顔を見せ合い、声をかけ合い、歩んでいく。教会が開かれた場所となるために、秋には地域に向けてのチャペルコンサートを行い、春には野外礼拝を行い、私たちの教会にできる働きをしていく。

私のいる教会は、私が来る前から、その活動をずっと続けてこられた信徒の方々が集まる場所です。教会をずっと守ってきた方々は、恵みとともに、労苦や痛み、悲しみや試練を通ってきました。それでも希望を捨てず、この教会を通して「イエスの栄光が現れるように」と、祈ってこられました。教会を畳もうと考えた時もあったはずです。それでも、祈り、労苦し、続けてこられた方々がいます。最近、45年振りに教会に戻ってこられた方がいました。その方はついこの前のクリスマスに、洗礼を受けました。信徒の方と「教会を閉じなくてよかったね、ずっと続けてきてよかったね」と涙を浮かべて喜びました。

私はその方々の礼拝の群れに加わって、御用をさせていただいているだけです。

願わくば「ガリラヤ湖のような」教会をこれからも続けていきたい。「ガリラヤ湖のほとりのイエス」と出会うような、そんな時を提供したい(とても大層な話ではありますが!)。そして、これまで教会のために労苦し、教会を守り、信仰の戦いを戦い抜いてこられた信徒の方々の、「ガリラヤ湖のほとりで過ごす」一時一時を、お支えしたい。私の願う、教会形成の姿です。

とみやま・のぞみ 1989年埼玉生まれ。牧師家庭に生まれ育ち、小学生の時、単立・川口キリスト教会にて受洗。神学校卒業後、2年の伝道師期間の後、日本基督教団紀伊長島教会(三重)を経て、北九州復興教会曽根集会所(福岡)で牧会に従事。大好きな家族は、ウェルッシュ・コーギーのネタロー。

関連記事

この記事もおすすめ