【映画評】 ホモソーシャルな欲望と排除される宗教 『このろくでもない世界で』

 高校で暴力事件を起こしたヨンギュは示談金300万ウォンを稼ぐため、やむなく地元の犯罪組織の門を叩く。そこで盗みと脅しの意外な才能を発揮し、裏社会での出世が現実味を帯びる。組織のリーダーのチゴンと兄弟の契りを結び、自分を虐げる義父を退け、金銭的にも自由になり、ようやく不遇の人生が報われたかと思われた。が、思わぬ悲劇の連鎖がヨンギュに襲いかかる。

本作は「若者はあらゆる可能性に満ちている」という軽薄なフレーズの嘘を炙り出す。貧困と虐待に閉じ込められたヨンギュは何の可能性にも満ちていない。むしろ金策に追われ、親に頼れず、犯罪に手を染めるも八方塞がりに陥ってしまう。それを無分別な少年の自己責任と断ずることができるだろうか。むしろもがけばもがくほど悪い方へ転がっていくヨンギュの姿は、弱い立場に置かれた者がその苦境から抜け出すことの困難さを現している。叶うはずのないオランダ移住の夢は、希望というより絶望の象徴だ。

日本にもヨンギュに似た境遇の少年少女があふれている。家に帰れば暴力を振るわれ、路上に出ればありとあらゆる危険に晒される。生きるために犯罪を犯さねばならないこともある。これは韓国だけの問題ではない。本作のラストは日差しの下をバイクで疾走する明るいビジュアルだが、ヨンギュの内面がその真逆であろうことは想像に難しくない。『オランダ』という原題はこのラストに不合理な希望を与えかねないが、一方で『このろくでもない世界で』という邦題は、彼のどうにもならない絶望をダイレクトに表している。

1999年公開の『シュリ』以降、発展の一途を辿ってきた韓国映画は多かれ少なかれキリスト教の影響を受けてきた。さまざまな作品に教会や十字架、聖職者や聖書の一節といったキリスト教モチーフが肯定的であれ否定的であれ登場してきたからだ。それは人口の3割を占めると言われるキリスト教人口と無関係でなかっただろう。しかし近年、少なくとも明確にそれと分かる形でキリスト教モチーフが登場する機会が目に見えて減少している。韓国のキリスト教界が問題視しているクリスチャンの「教会離れ」と、そのきっかけとなったコロナ禍が影響しているのかもしれない。この傾向が何を意味しているのか、韓国社会におけるキリスト教や教会組織の立ち位置がどう変化しているのか(あるいは変化していないのか)、検証するのも興味深いだろう。

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本作にもキリスト教が登場しない。ヨンギュの境遇を考えれば地元の教会と接点があっても不思議でないが、舞台となる街(具体的な都市名は設定されていない)にはキリスト教も教会も存在しないように見える。脚本を書いたキム・チャンフン監督も過去にどん底の生活を送ったと語っているが、やはりキリスト教とは接点がなかったようだ。例えばソウル市内には(少なくともコロナ禍前は)至る所に教会があったが、ヨンギュのような貧困家庭に対して、教会は十分に手を差し伸べてきたと言えるのだろうか。

本作は日本ではヤクザ映画にカテゴライズされるかもしれない。特に組織が政界に手を回すくだりや、唐突に振るわれる暴力の数々は北野武監督の『アウトレイジ』シリーズを彷彿させる。また政敵を陥れるために同性愛がスキャンダラスに利用されるが、これはヤクザ映画が伝統的に内在してきた(同時にその存在を否定してきた)ホモフォビアを、臆面なく露見させる試みと言える。男性ばかりの社会で、少数の女性が一方的に犠牲になるのもヤクザ映画の典型だ。

異性愛の関係が見当たらず、代わりに同性愛を匂わせる(にもかかわらず決して言及されない)関係が複数見られるのもヤクザ映画的だ。チゴンのヨンギュに対する献身は犯罪組織の弟分を世話する兄貴分のそれを越えているし、2人の間に割って入るスンムの嫉妬は愛憎に満ちた三角関係を形成する。クィア理論家イヴ・セジウィックが提唱した「ホモソーシャルな欲望」をそのまま体現したような形だ。そこでハヤンは概念上だけでなく、物理的にも「交換」される。

『このろくでもない世界で』は韓国社会の格差が生み出す絶望と、家庭でも路上でも繰り返される容赦ない暴力だけでなく、不動に見えるホモソーシャルな構造の中で「男らしさ」に翻弄される男性たちと、そこで絶えず犠牲になり続ける女性たちの行き場のない苦悩を描くハードな作品だ。そのハードさに耐えられないキリスト教精神は、故に完全に排除されてしまったようにも見える。

(ライター 河島文成)

26日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

監督・脚本:キム・チャンフン(初長編監督作品)
出演:ホン・サビン、ソン・ジュンギ、キム・ヒョンソ(BIBI)
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
公式HP:happinet-phantom.com/hopeless

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