60年代、福音派はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を非難した。80年代は彼の生涯の都合の良い見解をほめそやした。今、我々は彼をどのように記憶すべきなのか。「クリスチャニティ・トゥデイ」が報じた。
クリスチャニティ・トゥデイ(CT)編集部は1964年夏、公民権運動をけん引したキング牧師を取材したが、「『市民的不服従』が正当化されると主張することは、暴力に訴える人々を助長することになる」と、同年8月に宣言。
半世紀後、CTはキング牧師と公民権運動への反対を正式に謝罪した。それまでに同誌はキング牧師をキリスト教的愛の模範として称賛し、その言動は白人福音派に必要な悔い改めの呼びかけを提供した、とする記事を数多く掲載していた。
しかし、白人であり福音派でもある人々にとって、そうでないキング牧師は厄介な人物である。私たちの多くはキング牧師を預言者として称えたいが、そうすると、キング牧師を彼自身の言葉で理解するのではなく、自分たちの目的のために利用してしまう危険性がある。
(1)キング牧師のキリスト教的実践を異端または偽善的と批判する、(2)キング牧師を、その教えによって人種間の分裂を癒し、人種差別の罪を清めることができる愛の預言者と称える、(3)キング牧師の非暴力への献身と、黒人ナショナリズムのより過激な形態に代わるものとして、肌の色にとらわれないアメリカの理想を強調する。
キング牧師に対するこれら三つの反応のいずれにも、少なくともいくらかの真実がある。しかし、いずれの場合も、私たちはキング牧師を彼自身の言葉で理解するのではなく、自分たちの福音派的カテゴリーに当てはめようとしてきたのである。
キング牧師の非福音派的キリスト教神学
キングは福音派ではなかった。福音派は伝統的に、罪の問題に対する答えは主に個人の改心にあると見なしてきた。これは18世紀と19世紀のリバイバリストたちのメッセージであり、20世紀のビリー・グラハムのメッセージでもあった。
しかし、キング牧師は罪を主に構造的な観点から理解していた。人種隔離政策という構造的な現実によって、キング牧師の人生は形作られたのである。人種隔離とは、単に彼の肌の色をいうだけで、彼を人間としての尊厳をもって扱うことを拒否する法律的、社会的、文化的なシステムである。キング牧師は、自分が牧師に召されたのは、主に来世のために魂を救うためではなく、人を人として扱わない邪悪なシステムに神の王国をもたらすためであると考えていた。
悪に打ち勝つ究極の方法は、十字架の力によってであったが、白人の福音派が信じていたようなキリストの司法的贖罪の十字架ではなく、集団的な「いわれのない苦しみ」の十字架であった。非暴力主義は構造的な不公正の悪を暴き、抑圧された人々が抑圧者に愛を示す姿に広く国民が心を動かされ、国民的な悔い改めをもたらすことができた。
キング牧師は、このメッセージを説いた最初でも最後でもなかったが、キリスト教とアメリカの民主主義に対する彼の見解が、アフリカ系アメリカ人のキリスト教徒だけでなく、多くの白人リベラル派にもアピールし、他の誰よりも効果的だった。20世紀初頭の黒人民族主義者マーカス・ガーベイや、キング牧師と同時代のマルコムXとは異なり、キング牧師は人種的公正を国家の建国文書、すなわち「すべての人は平等に造られた」という独立宣言と憲法によって保証された権利に根拠を置いて訴えた。
彼はまた、人種的平等、人間の尊厳、そして不正義に対する非暴力的活動主義という原則を、白人リベラル・プロテスタントにとって最も魅力的な聖書の部分、すなわち山上の説教、善きサマリア人のたとえ、黄金律、そして聖書の預言的伝統に根拠を置いていた。
(翻訳協力=中山信之)