牧会あれこれ(14)賀来周一

これからの教会を考える

最近は、定年後の人生を伝道者として過ごそうと決心して、60代になってから献身する人が増えてきた。ある大手企業の役員であったが、一大決心をして、定年後、牧師の道を歩み始めた人がいる。この方がつくづく言われたことがある。

「教会というところは、難しいところですな。わたしが会社にいた頃は、部下に『これをしておいてくれ』と言っておけば、すぐ計画どおりに物事が動く。それに比べると教会というところははなはだ困る。役員会の決議は過半数で決めるのが常識と思っていても、声の大きい人の一言で決まったり、話があれこれと錯綜して一向に意思決定ができない。しかも教会というところは、何をするにしても時間がかかかります」と愚痴話。

「それはそうですよ。一般企業と違って、試験を受けて入ってくるわけでなし、無条件で人が集まっているのが教会です。物事をよくこなす人もいれば、不器用な人もいます。年齢や経歴も違う。物事がおいそれと効率よく動くわけがありません。そのうちに教会という集団に慣れてきますよ」

そう言うと、「若い時から教会の牧師をしている人がうらやましい。こういう集団に慣れているのですね」とほとほと感心した様子であった。

わたしは、役員になった方によく言うことがある。

「教会というところは、だれも間違ったことは言わないものです。自分なりにとても良いことだと思って提案をしたり、意見を述べたりする。けれども、個人の提案がすべての人にとって良いことかどうか分からない。役員は常に教会全体を見て、良いと思うことを考えて提案してください」

これは、個人の意見や提案のすべてが否定されることを意味しているわけではない。たとえそうであっても、教会全体にとって益となるように計らうのも、役員会の責任ではないだろうか。そのような視点を得るには、日頃から教会の人間関係や物事の細部に至るまで行き届いた配慮が必要とされる。

最近とくに教会は、牧師・聖職者など専任者が不足する事態を抱えるようになっている。そうなれば、信徒が教会形成の主力となるに違いない。結果として、役員会の役目はますます重要になる。

教会はまた、新しいことが動き出すには1年はかかる。なぜそうかというと、教会員は毎日、教会に来ているわけではないからだ。礼拝は欠かさないという熱心な人でも、1年に52回か53回である。例外的に日曜以外にも教会に来ることもあるかもしれないが、通常は1週間ごとに礼拝に来る。教会に常住する牧師は別として、熱心な教会員であっても、教会に来るのは1年に52日か53日である。それを考えれば、教会は新しい計画を立てるにあたっては1週間を1日と考える必要がある。緊急な問題処理は別として、一般社会の組織集団から見れば、教会はゆっくりした集団のように見える。

地方に行くと、一人の牧師が二つの教会はまだしも、三つの教会を担当している場合もある。しかも隣接しているわけではなく、県を越えて三つの教会を守っているケースもある。単に礼拝を守るだけなら何とかなるかもしれないが、教会形成ということから考えれば、信徒自身でできることを模索しなければならないであろう。役員会のあり方、伝道や牧会のあり方も一工夫する時期が来ているのではないかと思われる。

上記に挙げたことは、わたし自身の経験である。もし読者と共有できることがあれば幸いと思い、あえて述べてみた。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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