今日7月25日は使徒ヤコブの祭日。スペインでは守護聖人であるため休日です。
新約聖書の中に登場するヤコブはおもに3人います。キリストの十二弟子には二人ヤコブがおり、区別するために「大ヤコブ」と呼ばれます。「ヤコブの手紙」を書いたとされるエルサレム教会指導者で「主の兄弟」ヤコブとは別人。
十二弟子の中には実の兄弟のヨハネもおり、「ゼベダイの子」です。ペトロたちに続き、ガリラヤ湖畔でイエスの弟子とされました。漁師でしたが、「雇い人たち」がいるほど裕福でした(マルコ1:1~20など)。
ヤコブとペトロ、ヨハネは、イエスの側近のような立場でした。変貌山では、この3人がイエスのお供をし(マルコ9:2など)、会堂長ヤイロの娘を癒やす時も、この3人しか家に入ることを許さず(ルカ8:51)、十字架前にゲツセマネで祈る時にもイエスに連れて行かれました(マルコ14:33、参照13:3)。そのためか、ヤコブとヨハネは、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」とずうずうしくも願い出ています(マルコ10:37)。
「〔イエスは〕ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、『雷の子ら』という名を付けられた」(マルコ3:17)とあるので、おそらく気性が荒かったと思われます。エルサレムに向かう途中、立ち寄ったサマリアの村で歓迎されなかった時に、ヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と怒りにまかせて発言し、イエスからたしなめられています(ルカ9:54)。
「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(使徒12:2)とあるように、ヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられて、ステファノに続き、使徒としては最初に殉教しました。
伝承では、その遺体を弟子の二人が石の船に乗せ、海を果てしなくさまよった末に、スペイン北西端にたどり着き、埋葬したといわれます。そのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(「ヤコブにとってふさわしい場所」の意味、世界遺産)は、エルサレムとバチカンと並ぶキリスト教の三大巡礼地となりました。
巡礼者は、その証明にホタテ貝の殻を荷物にぶら下げたり、帽子につけたりします。ホタテ貝はヤコブのシンボルだからです。それについては、ヤコブの遺体が運ばれたとき、船底に貝がたくさん付着していたなど、さまざまな説があります。上の絵でも、ヤコブのアトリビュート(その人物を特定する属性)として胸にホタテ貝がついています(ちなみに、ルカ24章の、エマオにおいて弟子の二人に復活のイエスが現れる場面に出てくる名前はヤコブではなく、クレオパだけです)。