【インタビュー】クリスチャン精神科医の石丸昌彦さん 教会は、主の食卓のまわりに神の家族を作る場所(3)

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──『精神障害とキリスト者』の中で、一つ一つの記事に対する先生のレスポンスは必ず聖句から語られていて、聖書の学びが信仰には大切だと思いながら読んでいました。

石丸:確かにそう思います。私は、福音書記者の一人ルカが医者であることに励まされています。

石丸昌彦さん

──30年前とは精神疾患の内容や、それを取り巻く環境は変わっていますか。

石丸:私が医師になった頃は、首都圏においても心療内科や精神科のクリニックは身近にありませんでした。今のようなストレス性の不眠症やうつがあっても、当時は鉄格子のはまった精神病院か大きな総合病院の精神科ぐらいしかなかったので、苦しくても受診せずに我慢する人が多かったでしょう。今は都市部では、我慢することなく治療を受けることができますし、うつ病はいろいろなところで話題に上ぼり、世の中の表に出てくるようになりました。また、うつ病の診断基準が広がったことも実は重要です。

それから、ストレス性の現象が増えてきたということもあります。ストレスはいつの時代にもあるもので、今が昔よりストレスが多いとは必ずしも言えませんが、ストレスの有り様が変わってきています。昔は、少々の「うつ」を病気とは認めなかったということもあります。そういうことを考えれば、精神疾患そのものが急増してきたというよりも、精神疾患を公然と話題にし、社会の課題として問題にすることができるようになったと見るべきではないかと思います。

──その一方で、教会は対応が追いついていないということでしょうか。

市川:さまざまな人が次々に来る教会だと、精神疾患のある人が来ても、そんなに驚かないと思うのですが、固定メンバーであまり変化のない小さな教会などの場合、一風変わった新来者に対応することが難しいのではないでしょうか。

ある教会の話でびっくりしたのは、礼拝での座席が決まっていて、新来者が座ると、「そこは私の席なので」と言う婦人がいたことでした。そういうことが結果的には新しい人の来会を妨げ、異なる者を排除してしまう空気になるのかなと思います。イエス様がどう生きたかを考えれば、自分たちだけで固まることなく、新しい者、異なった者を自然に受け入れられる、イエス様につながる生きた教会になれるのではないでしょうか。

実際に問題とされる行動があり、なかなか一つの教会に定着できない人に関しては、教会間で情報交換や連携をするなどして対応しているケースをよく見かけます。

「開かれた教会」が理想ですが、せめて「風通しのいい教会」だといいなと思います。近所に心療内科のある教会が、精神疾患のある人たちの出入りに慣れていて、普通に受け入れているといった例もあります。「慣れ」というのは大きいです。

──どんな人でも教会は受け入れなければいけないと思いますが、なかなか現実は難しいということでしょうか。

石丸:自分たちの教会でどうしても無理なようなら、教区内のほかの教会に引き受けてもらうということも考えてよいと思います。日本の特にプロテスタント教会は、自分の教会で完結しなければならないという意識が強すぎないでしょうか。「うちでできなかったことを隣の兄弟姉妹がやってくれた」というくらいの意識を持てたらいいですよね。

礼拝は、主の招きによってそこに集められていること自体が大事でしょう。精神疾患のある人が礼拝中にブツブツ言って説教に集中していないからといって、礼拝から排除するのはおかしいです。礼拝は、主の十字架を仰いで、そこで主の食卓にあずかるものだということを忘れてはならない。AAと呼ばれる断酒会活動は、12ステップという基本原則に沿って徹底的にミーティングを繰り返すのですが、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18:20)という約束がそこで果たされています。主の名によって集まる力、これこそ礼拝ではないでしょうか。

市川:牧師にもできることとできないことがあり、この本の中でもこんなことが書かれています。精神障害のある人が激昂(げっこう)し、「こんな教会、もう来ない」と言い出した時に、牧師は「来たくなったら、またどうぞ」と言ったそうです。教会の扉は閉ざさない。ただ、「それ以上のことはできないと伝えている」と。そういったことが最低限できればいいと思うのですが。

──最後に教会の未来についてどのような展望をお持ちでしょうか。

石丸:日本の社会では目に見える信者数は少ないのですが、福音の影響力は大きいです。人々が天国について語る時には、自分が意識している以上に聖書のイメージを援用しているでしょう。小さく縮(ちぢ)こまらず、大きな気持ちでいれば、イエス様がよいようにしてくださいます。イエス様の教会ですから。

また、うつ病の大きな原因に「コミュニティー・ロス」ということがあります。教会は、究極のコミュニティーを提供できるはずです。「何があっても、教会なら支えてくれる」という安心感が人を変えるのでしょう。何か特別なことができなくても、主の食卓のまわりに神の家族を作るという、昔からやってきたことを愚直に行っていけば、きっといい証しができるはずです。そこに精神障害のある人も加わればいいだけで、昔から教わってきたことをイエス様に恥ずかしくなくできるかどうかに関わってくると思います。

【インタビュー】クリスチャン精神科医の石丸昌彦さん 教会は、主の食卓のまわりに神の家族を作る場所(1)

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