神さまが共におられる神秘(78)稲川圭三

迫害を受けるとき、イエスさまの口になって

2016年11月13日 年間第33主日
(典礼歴C年に合わせ3年前の説教の再録)
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい
ルカ21:5~19

その当時、エルサレムの神殿は改修に改修が重ねられ、美しい大理石や金や銀の装飾、輝かしい奉納物によって壮麗な佇(たたず)まいでした。それに見とれている人々にイエスさまは、「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と言われました(ルカ21:6)。

「あなたがたはそういう滅びるものに見とれているけれど、決して滅びることのないお方に目を向けなさい」と教えておられるのです。

すると人々は、「そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴(しるし)があるのですか」と聞いてきました(7節)。

イエスさまは、「いつ来るか」という問いにはこうお答えになります。

「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない」(8節)

イエスさまは、「時が来た」「その時がいつだ」と言う者に惑わされてはならないとおっしゃいます。

それから、「どんな徴があるのですか」という問いには、こう言われます。

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く」(10~12節)

「その徴の前に、こんな『今』が私たちにある。それこそが大切なのだ」と教えておられます。

今日の福音の中に、「わたしの名のために」という言葉が2回あります(12、17節)。イエスさまの名とは「インマヌエル」です。「インマヌエル」とは「神が我々と共におられる」という意味のヘブライ語です。「神が我々と共におられる」という真実を、イエスさまは自分のうちにも人のうちにも見て生きてくださったのです。そのためにイエスさまは十字架につけられました。

私たちは、神さまが一緒にいてくださるいのちです。そのことに結ばれて今日を生きるように招かれています。そして、「神さまがあなたと共におられます」と祈って生きるとき、私たちも迫害も受けるのです。

でも、「それはあなたがたにとって証しをする機会となる」と言われます(13節)。だから、「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」(19節)というのが今日のイエスさまの教えです。

ところで、「忍耐によって」と訳されている言葉ですが、ギリシア語では「ヒュポモネー」という単語が使われています。「ヒュポ」というのは「何々のもとに」、「モネー」は「とどまる」という意味です。つまり、ただあてのない、やみくもな我慢ではなく、「とどまるべきお方のもとにとどまる」という忍耐なのです。

「だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい」と言われます(14節)。反抗する者に向かって、滅びある弁明の準備をしたとしても、滅びから滅びへの堂々巡りです。しかしそうではなく、「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授ける」と言われます(15節)。

この「言葉」には、ギリシア語では「口」という意味の「ストマ」という単語が使われています。つまり、どんな反対者も反論も対抗もできないような「口」と「知恵」をイエスさまが授けるとおっしゃっているのです。イエスさまご自身が私たちの口となり、知恵となって生きてくださるのです。「だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい」とおっしゃいます。

その真実のもとにとどまっていのちを得るように。それが、イエスさまが私たちに教えてくださることです。

だから今日、皆さんのまわりに恐れている人がいるなら、「恐れなくていい。あなたのうちに神さまが共にいてくださる」と言われています。心配している人がいるなら、「心配しなくていい。天地が滅びても滅びることのない神さまが一緒にいてくださる」と言われています。悩んでいる人がいるなら、「悩まなくていい。永遠のいのちの神さまがあなたと一緒の向きで生きてくださる」と言われています。

私たちがそう人に言うとき、その口はイエスさまの口そのものです。だから、その口と知恵を使って、私たちは今日、イエスさまと一緒に生きて、人に何かを働きかけるようにと望まれています。

ここにはたくさんの口があります。イエスさまは私たちのその口を通してお語りになりたいのです。だから、もし私たちが、「分かりました。今日、あなたの口になるように頑張って1日を生きさせていただきます」と心に決めるなら、イエスさまも「よし来た」と一緒に働いてくださると思います。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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