【能登半島地震】 「教会とのつながりを支援の強みに」 ハンガーゼロ常務理事・近藤高史氏 

1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震が発生。ハンガーゼロ(日本国際飢餓対策機構)は、4日から現地に緊急チームを派遣し、水・パンの缶詰などの救援物資の援助を開始した。13日(土)朝、被災地から東京に戻って来られたハンガーゼロの常務理事・近藤高史氏より話を聞いた。

ーー被災地から戻られ、今どのようなことを感じていますか。

「震災発生時、実家の名古屋に帰省しており、そこからすぐに東海福音フェローシップ(TEF)災害対策委員会と合流し、被災地に駆けつけました。今回は、地震の規模がとても大きく、また被災した場所は高齢者が多く住む過疎地であるため、支援活動はかなり難しい状況だと考えています」

「一方、クリスチャンの支援としては、対応するスピードの早さを感じています。金沢市郊外にある内灘聖書教会が、人、物資、情報の受け皿となってくれ、そこに過去の災害支援で経験を持った人たちが早い段階で集まり、ほぼ1週間で『能登ヘルプ』(能登地震キリスト災害支援会)というネットワークが立ち上がりました。『能登ヘルプ』は、熊本地震の折に立ち上がった『九キ災』(九州キリスト災害支援センター)のノウハウが生かされていて、この働きには、ハンガーゼロのほかにも多くの支援団体が協力しています」

門前市での炊き出し。

ーーこれまでウクライナなど戦場も含めさまざまな被災地にハンガーゼロは赴いていますが、今までの災害との違いや、特徴などを教えてください。

「能登半島地震の被災地は過酷な状態にあります。能登半島はかなり広く、被災している町々が離れ、かつ道路が寸断されてしまっている。さらに降雪によって行けるはずの場所に行くことができない。積雪が道路の陥没などを隠し、まだ進むのが非常に危険な場所もあります。こういったことが、今回の災害支援を難しくしている点だと考えています」

雪の被災地。

「被害の状況も地域によって差があります。珠洲市は被害がひどいとされていますが、集落集落が孤立しているので、集落ごとに被害の違いがある。一方輪島市は、町中心部も火災を含め大きく被災してしまっていて、市街地で200件もの建物が崩壊しています。輪島市門前町では2007年にも大きな地震を経験している地元の人たちですが、『こんな激しい地震を経験したことは今までない。また能登町の自衛隊による仮設風呂で一緒になったご老人はまさか自分がこんな被災者となって避難所で生活すると思わなかった』と話してくれました」

ーー現地では支援の人手が足りていないと聞きますが。

「人が足りないと感じるところはありますが、今の段階では、災害支援のプロフェッショナルでない人たちが大勢きたとしても、あまり助けにはならないのではないかと思います。行方不明者の捜索もまだ続いており、そちらの救出が終わり、地元の支援の受入れ体制が整ってからでないと、一般ボランティアは受け付けられる状態ではないと思うのですが」

ーー支援物資は行き渡っていますか。

「物資はある程度行き渡っていると思います。行政のほうで所在地が確認できていれば、食料などは届けられています。ただ、安否不明者もいますし、孤立して自宅避難している人もいて、そういうところに支援の格差が生じてしまう懸念はあります」

10トントラックからの水の荷下ろし。

ーーインフラはどうでしょうか。

「電気は戻りつつありますが、断水が続いています。ハンガーゼロではこれまでも10トントラック5台以上の水を運ぶお手伝いをしてきました。能登半島北部では断水は、この先数ヶ月は続くという見通しです」

ーーさまざまな団体が支援に入っていますが、今後も見据えてハンガーゼロの強みは何ですか。

「東日本大震災以降、キリスト教界では地域ごとの災害ネットワークが立ち上がるようになり、今回も『能登ヘルプ』がリーダーシップをとっているので、ハンガーゼロは『能登ヘルプ』を応援する形で支援活動を行っています。そんな中で、ハンガーゼロならではの強みといえるものは、過去に支援地のベースの中心を請け負ってきた経験や、各地の教会とのつながりでしょうか」

「今回も、10トン車で水を能登に届けることができたのは、以前からハンガーゼロとつながりがあった『FUKUSHIMAいのちの水』が水を届けたいという要望に知り、協力して現地のニーズにお繋させて頂きました。また、届けられる物資の倉庫が教会だと対応に疲弊してしまったり、置ききれなかったりもするため、教会とは別のところに倉庫(今は七尾にある)を借りるようにしたのもハンガーゼロが言い出したことです。置ききれないために物資を送ってもらうのを断ってしまうと、物資はもう必要ないと思われてしまうことを経験していたからです。さらに、教会の再建についても、東日本大震災で津波で流された教会を募金により最終的に再建できたという実績があるので、今後ニーズがあれば同様なお手伝いもできます」

七尾市に設けられた倉庫。

ーー毎年、世界食料デー大会を全国で開催していることも影響しているのでは。

「それもあります。世界食料デー大会は、各地域の教会とハンガーゼロを日常的につないでくれています。現地で協力してもらった内灘聖書教会は、毎年世界食料デーの集会を行なっており、昨年10月には私も訪れています。さらに同教会の酒井牧師は、ハンガーゼロ理事の一人です。震災直後の大変な時でありながらもすぐに快く受け入れてくれたのは、そういったつながりがすでにあったからだと思っています」

「15日からハンガーゼロでは、第2チームが能登に行くことになっていますが、その時の宿泊先を提供してくれたのが『能登ヘルプ』の代表・岡田仰氏が牧会する金沢独立キリスト教会です。金沢独立キリスト教会も以前から世界食料デー礼拝でつながっており、今回ハンガーゼロのベースを探していると伝えたら、すぐに教会の伝道所を自由に使ってよいと申し出てくださいました。大変感謝なことで、それは昨日今日じゃなくて以前から関係があったからこそだと思います」

「また、こういった災害が起きたときに教会が拠点となる建物や機能を十分持っていると改めて感じました。ただ、被災地にある教会がすべて支援のために動けるとは限らない。被災地のすべての教会が同じ状況ではなく、信徒に被害者を抱えてしまった教会と、そうでない教会とはやはり違ってくる。信徒が亡くなられたり不明者である場合、当然牧師の心も乱れるし、信徒の心のケアも必要になってきます。そういう教会に支援活動に加わってほしいとは言えません」

近藤高史さん(写真左)と門前聖書教会の宣教師。

ーー能登の教会には高齢化という問題もありますね。

「能登の被災した地域には全部で10数カ所教会が点在しますが、その多くは1950年代以降に聖書教会連盟の宣教師によって開拓された教会です。今では、どの教会も高齢化がすすみ、教会によっては礼拝人数が10人に満たないところもあります。地震の影響で集まる数はさらに減ってしまいましたが、それでも震災後の日曜日には、教会に集まり礼拝を捧げていることが報告されています」

ーー今後のハンガーゼロの活動について教えてください。

「ハンガーゼロは3月末頃まで、毎週スタッフを2人ずつ能登に送り、『能登ヘルプ』と連携し、ほかの協力団体と共に支援に取り組んで行きます。それと同時に調査・視察もし、今後必要となるものを見極めていく予定です。被災地の現状から、どのくらい長期にわたる支援が必要になるか分かりませんが、長期計画の最終ゴールは教会の再建だと思っています。教会再建のためにも募金が用いられたらいいのではないかとも考えています」

*写真はすべてハンガーゼロ提供。

能登半島地震 緊急現地レポート&インタビュー(1) 近藤高史(ハンガーゼロ総主事)

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