カトリックの教皇フランシスコは28日(日)、イタリア時間午前10時30分(日本時間同日17時30分)からバチカンの聖ペトロ大聖堂で「受難の主日(枝の主日)のミサ」を司式した。
その説教の中で次のように語った。
「聖週間が始まりました。新型コロナ・ウイルスによるパンデミックが始まってから2回目の聖週間です。去年、私たちはショックを受けていました。そして今年、私たちは試練のために疲労し、経済危機は深刻さを増しています。
このような歴史的・社会的状況の中で神はいったい何をしておられるのでしょうか。神は十字架を担っています。イエスは十字架を担い、このような状況がもたらす悪……物的悪、心理的悪、そして特に霊的な悪を御身に引き受けてくださっています。なぜなら、悪はこの危機を、人々に信頼を失わせ、絶望に導き、悪の種子を蒔(ま)くために利用するからです。
では、私たちはいったい何をしたらよいでしょうか。……自分に与えられた苦しみ、闇や迷いのすべてを受け入れ、心の中に信仰の火をしっかりと灯(とも)し続け、受難の道を歩み通すことです。神の恵みによって、この歩みは可能です。日ごとの十字架の道において私たちは、困難な状況に置かれた多くの兄弟姉妹たちに出会います。避けて通ることなく、同情の心をもって彼らに近づきましょう。キリストの十字架を担がされたキレネのシモンのように、『なぜこの私が』という思いが起こるかもしれません。しかし後で、それが知らずにいただいた大きな恵みだったと気づくでしょう」
パーム・サンデー(枝の主日、しゅろの主日)は、イエスが十字架につくため、子ろばに乗ってエルサレムに入城されたとき、群衆がなつめやしの枝を持ってイエスを歓迎した次の聖書箇所にちなむ。
祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。(ヨハネ12:12~14)
カトリックのミサなどでは、ソテツなどの枝を持って集まり、司祭が聖水を振りかけて祝福し、イエスがエルサレムに入城した出来事を記念する。
この日はイースター(復活祭)のちょうど1週間前で、この日からキリストの受難を記念する「聖週間」(受難週)に入る。2月17日の「灰の水曜日」から始まった今年のレント(四旬節、受難節)だが、4月4日のイースター(復活の主日)を前に、レント最後の週を過ごすことになる。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書にある記述に従って、イエスがエルサレムに入城してから十字架につけられるまでを心に刻む時だ。
日曜日 エルサレムに迎えられる(マルコ11:1~11)
月曜日 いちじくの木を呪(のろ)う、神殿から商人を追い出す(11:12~26)
火曜日 権威についての問答等(11:27~13:37)
水曜日 ベタニアで香油を注がれる等(14:1~11)
木曜日 主の晩餐、弟子の足を洗う等(14:12~26、ヨハネ13:1~20)
金曜日 十字架の死等(マルコ14:27~15:47)
土曜日
日曜日 復活する等(16章)
カトリックでは4月1日(木)から3日(土)までが「聖なる3日間」となり、1年で最も多く教会に人が集まる。聖木曜日「主の晩さんの夕ベのミサ」は、キリストが「最後の晩餐」を行い(マタイ26:26~30、マルコ14:22~26、ルカ22:14~23、1コリント11:23~26)、弟子の足を洗った(ヨハネ13:1~20)ことを記念する。聖金曜日。キリストが午前9時に十字架につけられ、その6時間後の午後3時に息を引き取られたことを記念する。聖土曜日「復活の聖なる徹夜祭」。ユダヤでは日没が1日の始まりなので、土曜日の日没を迎えると、「安息日が終わって、週の初めの日」(マタイ28:1)となり、イエスが復活されるので、それを記念して1年で最大の祭儀を持つことになる。
カトリック東京大司教区では、新型コロナ・ウイルスの影響で教会に集えない人が多いことを踏まえ、菊地功(きくち・いさお)大司教司式によるミサ・典礼をユーチューブでライブ配信する。
聖木曜日 主の晩さんの夕べのミサ
4月1日(木)午後7時から
聖金曜日 主の受難の典礼
4月2日(金)午後7時から
復活の主日 復活の聖なる徹夜祭
4月3日(土)午後7時から
復活の主日 日中のミサ
4月4日(日)午前10時から