アマチュア福音落語家のゴスペル亭パウロ(本名:小笠原浩一)さんが9月21日、東京プレヤーセンター(東京都千代田区)で福音落語を披露した。演目は「あなたも、あなたの家族も救われます」と「十字架の右・完結編」の2本。福音落語を始めてから8年目になるというパウロさんと妻の純子さんに話を聞いた。
──福音落語を始めたきっかけは?
パウロ:大学を卒業後、地元の生活協同組合(コープ)で32年間働いていました。コープでは商品普及のために「商品フェア」をするのですが、紀北のかつらぎ町で開催されたとき、その会館で後日、プロの落語会が無料で開かれるというチラシが目にとまったのです。それでさっそく妻と二人で行かせていただきました。そのとき、「落語はただ面白いだけではなく、情景を思い浮かべることができる素晴らしいものだ」と思ったのです。
純子:私もそれまではまったく興味がなくて、「無料なら行ってみようかな」くらいでした。でも、話を聞いているうちにその世界に引き込まれて、扇子(せんす)を飴(あめ)に見立てて子どもがしゃぶる場面ではヨダレまでもが見えるようで、感動しました。
その後、「落語で福音を伝えたい」という思いが主人に与えられ、母教会(和歌山ゴスペルライトセンター・つつじが丘チャペル)の山本杉広(やまもと・すぎひろ)牧師に相談したところ、「福音のためなら、何でもしなさい」と後押ししてくださいました。
──「ゴスペル亭パウロ」という名前はどこから?
パウロ:山本先生が、「使徒パウロのようになってほしい」と名づけてくださいました。
今日、演じさせていただいた「十字架の右・完結編」は、もともと教会で数人でやっていた聖書劇ですが、教会移転に伴い、新しい会堂で上演するには手狭になり、これを一人で演じる「福音落語」を始めることにしました。福音落語を始めたのは、この話を落語で演じたかったこともあります。
学生時代、「落語研究会」に入っていたのでもなく、手探りでのスタートでしたが、和歌山市が主催する落語教室に参加して、基本からすごく丁寧にご指導いただきました。講師は、プロの落語家である桂枝曾丸(かつら・しそまる)先生です。
福音落語のことをインターネットで調べるうちに、露の五郎兵衛さんが晩年クリスチャンになって、神の愛を伝える落語を演じていたこと、長女の露のききょうさんもお父さんの意志を継いでプロの福音落語家として活躍されていることを知りました。
その後ききょうさんから、「クリスチャンばかりの落語会を開催するので参加してもらいたい」とお話をいただき、第1回から第5回まで出演させていただきました。
──お二人のクリスチャンとしての歩みは?
パウロ:もともと和歌山の真言宗の家に長男として生まれました。ただ、賀川豊彦の人間性や生き方が好きで、大学の卒業論文も賀川豊彦物語を書いたほどです。有名な牧師であるとともに、初代の日本生活協同組合連合会会長で、「生協の父」とも言われています。その影響で地元のコープに就職したのですが、クリスチャンになろうとは考えていませんでした。
純子:教会に行き始めたのは私が先なんです。長女を出産した時に、教会で子育てサークルがあることを知りました。そんなとき、近所の公園で子どもを遊ばせていると、あるお母さんが声をかけてくれたんです。そのサークルのことを話すと、「私は子どもの頃、その教会の教会学校に通っていた。教会に行くんだったら、私も一緒に行くよ」と言ってくれたのが、教会に行くきっかけでした。
サークルは雰囲気がすごくよくて、皆さんから愛を感じました。また、時々顔を出される山本先生の目がすごく澄んでいて、「この人は真実というか真理を持っている」と直感し、気持ちがだんだん吸い寄せられていきました。
──そんな純子さんをご覧になって、パウロさんはどう思われていたのでしょう。
パウロ:「あまり宗教に深入りしないように」と話していたのですが、ある日、お風呂で髪を洗っていると、「お前の40代を見せないようにしてやる」という、何とも言えない嫌な声が聞こえ、さらに今度は反対側から明るい澄みきった声で「教会に行け」という声がしたんです。もうビックリして、怖くなって、「教会に行くわ」と妻に言っていました。
それと、胆のうに大きなポリープができているのが分かり、医師からは「手術して胆のうを取り出そう」と言われていました。でも、自分の体にメスを入れられるのは嫌なものです。妻に勧められて、教会で山本牧師に祈ってもらったら、次の診察の時にポリープがなくなっていたのです。その時、医師が言われたのが「現在の医学では分からない世界がある」。このことを通して私も教会に行きだすようになったのです。
純子:そうしてイエス様を信じ、バプテスマを一緒に受けたのが25年前です。
パウロ:それから教会に行くのも落語をするのも、妻とずっと一緒です。(後編に続く)