2024年10月から、魚豊氏の漫画『チ。 地球の運動について』のアニメがNHKで放送されることが発表された。本作は手塚治虫文化賞のマンガ大賞をはじめ多くの賞を受賞している評価の高い作品だが、キリスト教と科学史に対する偏見を植え付けかねない問題作だと私は考えている。今回は、本作に見られる問題点から「科学と宗教リテラシー」の必要性を指摘したい。
本作の舞台は15世紀ヨーロッパの「P王国(人名からしてポーランドと思われる)」。主人公の一人ラファウは、一般に信じられている天動説ではなく地動説が正しいと確信する。しかしその説は当時普及していた「C教」が異端研究とするものであり、彼と彼の地動説を継承する人々は、異端審問官による迫害にさらされる――というストーリーである。
SNS上で何人かの研究者も指摘しているが、この流れは史実としては宗教的にも科学的にも誤りである。地動説は確かにその後のカトリック教会で問題視され、ガリレオは地動説を撤回せずに有罪となったが、コペルニクスの時代の教皇クレメンス7世はこの説を迫害するどころか賞賛して、研究を推奨している。ガリレオが裁判にかけられたのには複雑な事情があり、その一つは、彼が地動説と矛盾しそうな聖書の箇所の解釈を提示したことが、プロテスタント的だと受け取られたためとされている。当時は三十年戦争の真っ只中であり、カトリック教会としてはそうした姿勢を許すわけにはいかなかったのだ。このことはつまり、聖書を解釈する権利を万人に委ねるプロテスタントにとっては、地動説はあまり問題視されないことを意味している。実際に、社会学者ロバート・マートンは、プロテスタンティズム信仰が科学研究を促進させたという説を唱えている。
これに加え、天文学的にも不正確である。当時の周転円を用いた天動説はモデルとしてとても精度が高く、発想の転換だけで否定できるものではなかった。きわめて精密で膨大なデータを集めたティコ・ブラーエでさえ、地動説を証明する証拠は見つけられなかった。ましてやそれ以前の望遠鏡のない時代はなおさらであり、それにもかかわらずただ「美しい」という理由だけで地動説にしがみつくのは、妄信の類いである。
このような批判を予想してか、本作の最後に今までの迫害が教会の総意でないことが示されるが、キリスト教にしか見えない(聖句の内容が一致する「聖書」も有する)宗教の熱心な信徒が残虐な迫害をする様子を描いてきたのは確かで、そうでない穏当な姿勢が提示されてバランスが取られることもない。ネット上では本作がフィクションであることが強調されているが、であれば最初にそう明記しないと読者を騙していることになるし、そう言えば「免罪符」になるわけでもない。
いずれにせよ本作は、宗教者は無知蒙昧であり、科学的精神をもった人々を妄信と権力によって迫害するが、最終的には「真理」と「自由」が勝利し世の中が変わるという、啓蒙時代以来繰り返されてきた安直で不正確な科学/宗教観を再生産している点、「C教」の権威主義的、暴力的な面ばかり描くことでキリスト教への偏見を広めている点において、問題の多い作品だといえる。そのような偏見の広まりを防ぐために、科学と宗教の関係についての正しい情報を発信していくことが重要だと考える。
藤井修平(宗教情報リサーチセンター研究員)
ふじい・しゅうへい 1986年東京生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京家政大学非常勤講師。進化生物学・認知科学を用いた理論を中心に、宗教についての理論と方法を研究している。著書に『科学で宗教が解明できるか:進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生』(勁草書房)など。