この島に住み出して3年目になる。沖縄の北部に浮かぶ人口4千人の離島、伊江島。本島から何分で行けますかとよく聞かれるが、本部港から30分フェリーに揺られれば、麦わら帽子の形をした島に着く。台風でも来ない限り基本的には穏やかな海だから、ヨナのように嵐に見舞われて海底へと放り投げられることもきっとない。一筋の青白い航跡を漂わせて、人びとの願いと痛みを乗せたフェリーは滑るように港に入ってくる。そして海はまた、元の姿に戻っていく。
私はこの小さな島で育った。中学校を卒業するまで。それから方々を転々として、20年ぶりにここに戻ってきた。三日三晩、魚の腹の中にいたヨナも、再び陸地へと戻ってきた時、同じような気持ちになっただろうか。昔よく通った近所の売店はシャッターが下りていて、遊び場だった公園の遊具は一新されていた。オムライスを家族で食べにいった食堂は名前が変わっていた。それでもかつて住んでいた家はそのままあって、天井のファンが動かなくなっていたり、窓が一つ錆びついて開かなくなっていたりしたけれど、ヤモリやアリたちとスペースを分け合って――あるいは奪い合って、家族5人で暮らすには十分だった。
家のそこここには記憶がこびりついている。小さいころはよく風邪をひいた。別に大きな病気ではない、子どもがしょっちゅうひくような類いの軽い風邪。よほどひどくなれば島に一つある診療所で点滴を受けることもあったが、そうでもなければ2階のベッドでひたすら寝込んでいた。熱を出すと決まって母がキャベツの枕を作ってくれた。几帳面に千切りにしたキャベツをポリ袋に入れて。頭を乗せるとごつごつしていて、ひんやりとした感触が気持ちよかった。父は祈ってくれた。大きな手を私の額に当てて、「主は答えてくださる」というような声で。その祈りがなんと言っていたかはあらかた忘れてしまったのだが、少し湿った手のひらの温度はよく覚えている。言葉は忘れても、身体は記憶している。額の熱と混じり合うような手の温かさにとても安心したことも、その手があまりに大きくて驚いたことも。
この島に戻ってきてからまた、よく風邪をひくようになった。子どもたちが小学校や保育園からもらってくるウイルスを避ける術があるなら教えてほしい。同じ2階の部屋に横たわる。ひんやりしたキャベツの感触と熱を帯びた父の手を思い出す。
えのもと・そら 沖縄県伊江島における戦争、土地闘争の歴史と現在について研究している。著書に『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)、訳書にサイディヤ・ハートマン著『母を失うこと――大西洋奴隷航路をたどる旅』(晶文社)など。