ペットは天国に行けるのか(後編)

 

人間は神に似せて創造された

「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう』」(創世記1:26)。この箇所から、私たち人間が他の被造物よりすぐれ、神に近い存在として創造され、他の被造物を管理する命令が人間に与えられたことが分かる。「海の魚、空の鳥、地の上を這(は)う生き物をすべて支配せよ」(同28節)

(写真:Christopher Michel)

キリストはご自身を空(むな)しくして地に来られた時、理性を持たない動物ではなく人間になられた。そして、動物ではなく人間を救うために犠牲となられた。これは人間が特別な存在であることを示している。

また、神がシナイ山でモーセと話した時、獣(けもの)を近寄らせず、山にさえ触れさせないよう明確に要請し、「山に触れる者は必ず死刑に処せられる」という刑罰を示された(出エジプト19:12~13)。ここに象徴的な意味を読み込むと、山に登るとは創造主への霊的な登山であり、その前提条件として、山の入り口で私たちの猛獣性や反理性的な野蛮性を放棄しなければならないことをこの聖句は暗示している。

しかしノアの大洪水の時、動物を保護したことからも分かるように、神は動物を愛した。もちろん、化石の存在が示しているように、すべての動物を保護したのではない。旧約の次の箇所では、動物との共存を促す見解を確認することができる。「神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。神に逆らう者は同情すら残酷だ」(箴言12:10)

滅びゆく動物たち

聖書は、人間と動物を明確に区別している。けれども今日、人々は犬や猫と共に家の中で過ごし、ペットを家族の日々の営みに加わらせている。食事も一緒、寝るのも一緒、そしてパートナーの代役までさせているのだ。

人間が動物やペットを家族の一員として迎えることはつまり、ペットが天国で神と共存できるようにするということであり、人間としての尊厳、いわば権威を回避することではないだろうか。

動物には神と人格的な関係を築くことはできない。それは人間の特権だ。人間としての価値を高め、育(はぐく)むことへの無理解や能力の欠如については、詩編で動物のイメージを使って描写されている。「分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな」(詩編32:9)

これ以外にも、人間には死後、永遠の御国が用意されているのに対して、動物はこの地上で死に滅びゆく運命にあるという違いがある。同時に、動物にはシェオール、すなわち陰府(よみ、※)も用意されていない。

結局のところ……

天の御国はすべての被造物に対して開かれておらず、すべての被造物と御国で会えるとは教皇は言っていない。これは2014年11月、「ニューヨーク・タイムズ」の誤報だった。

それにもかかわらず、このテーマは決して無視できないものであり、信仰に関する疑問についての意味深い問いかけだ。そして、ジョン・パイパーの問題提起も意義深いものだった。

犬や猫への傾倒は、さまざまな価値観が絡(から)み合い、複雑化している社会を表す氷山の一角ではないだろうか。人間は神に似せて創造された。この視点が受け入れられない場合、それはクリスチャンの価値観と相容(あいい)れないことになる。

事実、罪深い人間は、神の似姿であることを放棄し、不都合な人間関係が生じたりするなど、望まない状況へと追いやられている。動物を愛しても、本当の創造主によらなければ決して満たされない空しさが露呈されるだけだ。天の御国でペットと共に過ごせるかどうかという心配は、ある意味、不確かな未来しか見えず、不安にさいなまれている感情の表れと言えるのではないだろうか。

キリストが私たちの人生の中で果たす重要な役割について、聖書は疑いの余地を与えない。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(マタイ10:37)

私たち人間は、天の御国で朽(く)ちることのない体が与えられ、神をほめたたえることが唯一の喜びとなり、主と共に過ごすことが約束されている。これこそ人間にとって十分な、満たされた幸せであり、これ以外何も必要がない。一方、動物は滅びゆく。

最後に、いかなる動物への虐待も容認してはならない。

「神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。神に逆らう者は同情すら残酷だ」(箴言12:10)

※陰府はヘブライ語「シェオール」、ギリシア語「ハーデース」の訳語で、すべての死者が集められる地下の住まい、義人が復活の時まで留まる中間的な場所(ルカ16:22、「アブラハムのすぐそば」)とされる。「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず」(使徒2:27)とあるように、キリストは陰府からよみがえられた。

執筆:モワセ・C・オリベイラ

本記事は、ブラジルのキリスト教メディア「ゴスペル・プライム」に掲載された記事より翻訳し、編集しました。翻訳にあたって、多少の省略をしています。

出典URL:https://www.gospelprime.com.br/animais-de-estimacao-vao-para-o-ceu/

吉田暁

吉田暁

(よしだ・さとし)1971年、兵庫県西宮市生まれ、静岡県浜松市育ち。大阪府堺市在住。10代の頃、2年ほどブラジルに滞在する。現在、キリスト教式散骨事業を行う「海洋散骨シャロームセレモニー」代表および全国通訳案内士(ポルトガル語)。チャペル・こひつじ会員。

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