【インタビュー】聖契神学校校長・関野祐二さん 超教派でライフ・スタイルに合った学び方ができる(前編)

 

聖契神学校(東京都目黒区)は、日本聖契キリスト教団立の神学校だが、他教派の学生も多く受け入れている。また、学ぶ人のライフ・スタイルに合わせたユニークな授業形式で、これまで数多くの学生を送り出してきた。第5代校長の関野祐二(せきの・ゆうじ)さん(59)に話を聞いた。

天文学が好きで、星の写真も撮るという関野祐二さん

関野さんは神奈川県小田原市南足柄出身で、大学在学中に受洗した。会社勤務を経て、1990年、東京基督神学校(現:東京基督教大学)を卒業。日本聖契キリスト教団・酒匂(さかわ)キリスト教会牧師を務めた後、2003年、聖契神学校校長に就任した。同教団・鶴見聖契キリスト教会牧師兼任。

──43歳という若さで校長に就任されたと聞きました。

私は27歳の時に献身したのですが、神学校卒業後、母教会で牧師をしている時に聖契神学校から声がかかり、96年から新約聖書の科目を持つことになりました。当時は、教会の仕事をしながら、週3日、小田原から通っていたのですが、3年たった時に、前任の校長から「次の校長になるように」と言われたんですね。神学校住み込みなので、妻と二人で、舎監や事務なども兼任し、週3科目の授業担当もしていますから、かなり忙しい毎日です。

神学校の舎監や事務はすべて関野清美さん(左)と夫妻で行っている。

──教団と神学校の成り立ちを教えてください。

カベナント(「聖契」「聖約」)教会は、スウェーデンでルター派国教会への改革運動から誕生し、1885年、米国にもカベナント教会ができます。第二次大戦後、そこから派遣された宣教師が日本伝道を開始し、1952年、聖契神学校が設立されました。福音派の日本福音同盟(JEA)の協力会員になっています。

最初は教団の教職者養成機関だったのですが、次第に他教派の学生も受け入れるようになりました。基本は、教会から送り出された献身者を育て、教会にお返しするスタンスで、教会推薦を重視しています。信徒奉仕者を養成する基礎科(64単位)と、教職者を養成する専門科(72単位)、あと教育課程(24単位)や聴講生など、学び方の間口の広さと高い神学レベルを兼ね備えています。

2018年から新たに加わったキリスト教教育課程で学ぶ神学生たち。キリスト教教育全般をより専門的に学ぶことができる。

──いつ、今のようなかたちになったのですか。

神学校の転換期は、73年の学制変更でした。この時、全寮制を求めない昼夜間の単位制に変更しました。「働きながら学べる」といううたい文句で、学ぶ人のスタイルに合わせた神学校に変えたのです。当時は画期的なことで、この思い切った改革がなければ、今頃は経営に行き詰まっていたと思います。

──具体的に学生はどのように授業を受けるのですか。

この単位制で非常にユニークなのは、昼夜交代制であることです。昼(午前8時55分~12時)と夜(午後6時半~9時25分)に授業をやるのですが、同一教師による同一内容の授業が1年ごとに昼夜間で交代します。このようにして、夜だけでも昼だけでも、単位は全部取れるようにしました。短期で卒業したければ、寮に入って昼夜間、集中して学べばいいし、フルタイムのサラリーマンの人は、週に1科目、夜の授業を取りながら、時間をかけて卒業すればいい。実際に15年くらいかけて卒業した人もいます。

聖契神学校の外観

──都心の住宅地にあって、ロケーションも魅力的ですね。

それも特色の一つです。東急東横線の祐天寺駅まで歩いて15分くらい。山手線の目黒駅までは二十数分。バブルの時に都心の用地を売却して地方に移ることもできたのですが、うちはその体力がなかった。校舎も古くなっていたので、本当は地方に移って建て直したかったのですが、今になってみると、ここに残ってよかったと思います。通学の学生には、やはり都心は便利ですし。

──課題はありますか。

今一番の懸念は、建物のことです。かなり古くなっているので、耐震補強や建て替えは必ずやっていかなければならないと思っています。その場合、問題は資金面です。開校当初は米国の親教団から援助があったのですが、ある段階から援助を断り、自立しています。そうなると、収入源は学費と寮費と献金ですが、聖契キリスト教団は小さな教団で、経済的なことはすべて独立採算制なので、資金のことを考えると、なかなか難しいのです。建物のことだけは負の遺産として残さないようにしたいと思っています。(後編に続く)

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