地方から1人で上京してから手探りで音楽活動をはじめ、居酒屋、ライブハウス、そして路上へと活動を広げていった僕。 渋谷の駅前でギターケースを広げて、はじめて歌ったときの緊張感は今でも覚えています。 僕のことを誰も知らない大都会で、いきなり歌いはじめたら、どんな目で見られるんだろう?そしてどんなことが起こるんだろう?
初めての路上ライブの時はいろいろ考えすぎて、準備してから歌い始めるまで30分ぐらいかかったような・・・そして意を決して歌いはじめたら・・・ 状況はなにも変わらなかった。僕の存在は誰の目からもみえてないかのように、目の前をたくさんの人たちが通り過ぎ、僕の歌声は大都会に飲み込まれていくのが現実でした。それでも退路を絶って音楽の道に進んだ僕にとっては、負けるわけにはいかないステージが路上ライブでもありました。
奇跡的にひとり、またひとりと立ち止まって聴いてくれる方がいるたびに励まされ、少しずつ自信をつけていきました。 (変なことで声をかけてくる外国人なんかもいたけどね)。僕が20年間やっているバンド/サルーキ=の相方モーリーと出会ったのもこの渋谷駅前の路上でした。当時コックさんをやっていたモーリーが仕事帰りに立ち止まって僕の歌を聴いてくれるようになり、そのうち一緒にストリートライブをやる仲になっていきました。
僕は元々ソロではなく、バンドを結成するつもりでメンバーを募集していたので、ギタリストが見つかったことにより、ベーシストとドラマーも加入して2001年からは4人組のロックバンド/サルーキ=の活動が始まっていきました。
もちろんその頃は僕もクリスチャンじゃなかったし、バンドの目標はCDデビューやワンマンライブ、そしていつかは武道館というのを掲げて、普段はそれぞれアルバイトに励みながら、安い深夜のスタジオを借りて、寝る間も惜しんでリハーサルに明け暮れたりしていました。
そんなバンド活動第一主義の人生と並行して、僕は毎週日曜日は彼女と教会の礼拝に参加していました。そこで習ったことのひとつは「自己実現は虚しい」というようなことでした。それは今まさにバンドで夢を追いかけて実現させようとしている僕にとっては、あまりピンとこない話でした。しかし、自分の欲のために夢を追いかけることと、もっと純粋に夢を追いかけることの違いを、少しずつ意識するようになっていったように思います。
後に作ったサルーキ=の歌の中でも 「夢と欲の違いがわからずに僕ら自分の首絞め続けてきた」(「楽園」) 「自分のためだけに 少しは人のために 結局は何を選びながら生きてるかなんだろう」(「uda uda」) こんな歌詞が出てくるようになりました。ともあれ、バンド創成期のこの頃は特にそういうことは意識しすぎず、ただガムシャラに夢に向かって、やれる限りのことをやっていたように思います。(空を撃つような拳闘も多かったと思いますが…)
そんな僕が教会での聖書の学びを終えて、いよいよ洗礼を受けるというタイミングでも、この路上を舞台に不思議な出会いがあったので、それはまた後の機会にご紹介出来ればと思います。
人生はまさにGOD ONLY KNOWS!
この続きはまた次回のコラムで。
☆chiyo☆