日本でも有数の田舎で育った僕は、大学進学で数年は福岡での生活を経由したものの、大都会/東京に出てくるときに、まずは「どの街に住んだらいいんだろう」と思いました。
地方に住む者にとって東京とひとくちに言っても漠然としたイメージ。東京タワーとかサンシャインビルとか原宿の竹下通りとかはイメージできるものの、実際に東京に住むとなると、どの街がいいのか分からなくて、とりあえずロック雑誌によく出てくる「高円寺」「吉祥寺」「下北沢」のなかから決めることに。
不動産屋まわりをして、吉祥寺が一番住みたい感じがしたけど、家賃が高くて最初に候補から外し、高円寺と下北沢の二択に。どちらもライブハウスの多いロックシティーなイメージの街ですが、当時は何となく高円寺だと古すぎて、下北沢だと新しすぎるイメージでした。(音楽的に) 古い音楽も好きな僕は迷いましたが、やはり古いよりは新しいほうがいいか、という単純な理由で下北沢のアパートを借り、以後8年間、引っ越しはあったものの、僕はこの下北沢近辺に住み続けることになりました。
〜時を戻そう〜 そんな背景もあり、前々回のコラムからの続きとしては、彼女の実家の宇都宮の教会で初めて神の愛にビビッときた僕が通うようになった東京の教会は、この下北沢から程近い笹塚という街のキリスト教会になった訳です。 「最も優れているものは愛です」という聖書のみことばに感動していたものの、まだクリスチャンではなかった僕が、初めてこの笹塚教会の扉を開けた瞬間に見た光景は、「君は愛されるため生まれた」という賛美歌を教会のメンバーがなんの偽りも感じさせず、歌っている光景でした。
「ここにウソはないな」。 瞬間的にそう感じた僕は、またしても聖書のなかの「愛」というキーワードで、最後の一押しを背中に感じ、文字通り神の愛に飛び込んでいくことになります。賛美によって、僕のキリスト教という「宗教」に対する疑念が払拭された訳です。
・・・とは言うものの、まだまだ知らないことや疑問が山のようにあった僕は、牧師に全く忖度(そんたく)しない質問をよくぶつけたものです。 「神が愛なら、なんで世界から戦争が終わらないんですか」「クリスチャンが送った十字軍ってなんですか」 などなど・・・。牧師もよく忍耐して僕の質問や僕の持論に付き合ってくれました。
いまでも覚えている牧師の回答は、「キリスト教の歴史は間違いの連続です。でも、イエス・キリストは真実です」。この言葉があったから、そのあとクリスチャンになって約17年間、クリスチャン業界につまずかなかったのかもしれません。人は完全ではない。しかし神は完全である。わからないことも沢山ある。しかしそれは神様の領域である。世の中には理不尽な出来事が沢山沢山あるけれど、いまではそういう風に思えます。どんな状況があっても神様は良いお方でその動機はいつも愛であり、それは十字架によって示された。イエス・キリストの十字架の死は 私を生かすためだった。
この教会ではじめて聴いた賛美歌「君は愛されるため生まれた」は、いまでも僕の人生の指針になっています。ロックシティー下北沢に住んで、近くのキリスト教会に導かれる。
人生はまさにGOD ONLY KNOWS!
この続きはまた次回のコラムで。
☆chiyo☆