5月14日「その心は、遠く離れている」

この民はロ先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。(マルコによる福音書7章6節、イザヤ書29章13節)

ユダヤ人は幼い時からモーセの律法を教えられた。律法学者は律法に基づく信仰生活の実際的な戒めを教えた。例えば、「あなたたちは聖なる者となれ」という律法によって、市場から帰ったら、身を清めて食事をせよと教えた。衛生上の理由ではなく、市場に行けば、異邦人やその風習に触れるので身が汚れるという宗教上の理由からである。こうした教えが言い伝えられ、ユダヤ人は言い伝えられた教えを固く守ることで、神に選ばれた民であると自認していた。ところが、主イエスの弟子たちは手を洗わずに食事をしていたのである。これを見て、日頃、主イエスの活動に危機感を持っていた律法学者たちは詰問した。これに対して、主イエスは冒頭のイザヤの言葉を引用して、「あなたがたは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と言い、彼らの形式的な信仰を批判した。

誘惑が多い社会において、具体的な信仰生活を示して、これを守るように教えることは悪いことではない。しかし、その教えが固定化すると、人にどう見られるかを気にしたり、その教えで人を裁くようになる。信仰生活は型にはまったものではなく、自由で主体的であることを主イエスは語ったのである。信仰に生きることは、立派に生きることでも、人からほめられる人間になることでもない。神の導きを仰いで生きることである。それは各々が聖書から神の御心を聞き取り、御心(みこころ)に従う決断を主体的に選び取ってゆく生き方である。そこで何よりも大事なことは、神に祈り、日々新たに神の言葉を聞くことである。神の御心を分かっているつもりになると、信仰生活が固定化し、形式化するのである。

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