【インタビュー】聖公会神学院校長・佐々木道人さん 実習や共同生活の中で育まれる霊的成長(後編)

 

──講師の先生方について教えてください。

中村:70年代に教育改革が起きる以前は、聖公会の教員で固められていましたが、その後、もっとエキュメニカルにいろいろな教派の先生方の力を借りようということになりました。

現在の教員(敬称略)は、聖公会では佐々木と中村のほか、立教大学などで教えている西原廉太(にしはら・れんた)、福山清蔵(ふくやま・せいぞう)、飯郷友康(いごう・ともやす)、山野貴彦(やまの・たかひこ)、宮﨑光(みやざき・ひかり)、布川悦子(ぬのかわ・えつこ)、菅原裕治(すがわら・ゆうじ)、竹内一也(たけうち・かずや)、加藤啓子(かとう・けいこ)、市原信太郎(いちはら・しんたろう)、大江満(おおえ・みつる)。それから、カトリックの雨宮慧(あめみや・さとし)、恵泉女学園大学名誉教授の李省展(イ・ソンジョン)、日本基督教団の上林順一郎(かんばやし・じゅんいちろう)、増田琴(ますだ・こと)、金井美彦(かない・よしひこ)です。

礼拝や聖公会の神学、実習については聖公会が担っていますが、特に聖書学や説教学などは、カトリックや日本基督教団などの先生に支えてもらっていて、すごくいい貢献をしてくださっています。

専任教員の中村邦介さん

──ほかの神学校と交流を持つことはあるのでしょうか

中村:日本ルーテル神学校(東京都三鷹市)とは交流があって、毎年7月に学生同士が行き来する1日プロジェクトがあります。昔は病院実習の時に、バプテスト、同盟、ルーテル、カトリック、農村伝道神学校など、いろいろな神学校が毎年、学生を送ってきて、共同で一緒に実習をするという豊かな時間を過ごしました。自分たちの教派だけでない、広がりのある中で実習できることは本当にいい経験でしたが、残念ながら今はそういったことはなくなってしまい、他校の神学生と一緒に集う機会はめっきり減ってしまいました。

以前、琵琶湖の研修センターで、日本の神学教育に携わる人が集まる機会があって、その時に、「合同神学校ができないか」ということが話題になったことがありました。神学校はどこも、教師も学生も少なく、財政も乏しいが、施設はそれなりに大きい。どこも悩みは一緒です。それで、将来的には教派的な枠を取り払って、一つの学校を作ることはできないだろうかと。

でも、いざ実行しようとすると、実際はハードルが高いというのが日本の神学校の現状です。現場で必要を認識していても、本部のほうに持っていくと、「そんなことはできない」という話になってしまいます。本部のほうで、「よし、やろう」というチャレンジ精神があればいいのですが、なかなか難しい。

それでも、海外ではすでに合同神学校の試みは起きているので、日本でも教派的なものを超えた神学教育の流れが今後は起こるのではないかと考えています。

校長の佐々木道人さん

──オンライン授業については、どのようにお考えでしょうか。

佐々木:オンラインの授業は、「いつでも、どこでも、誰でもできる」という利点がありますが、その一方で、身心共に一緒にいることの意味が問われる気がします。「どこでも、誰でもできる」というのは口では簡単に言えますが、そこにある大切なことがぽっこり抜け落ちているように思うのです。ずっと一緒にいる尊さとかですね。私は、ここでの伝統的な共同生活みたいなものが捨てがたいと思っているので、オンライン授業の良さを理解しながらも、しばらくこのスタイルでいきたいと思っています。

──橋詰さんは事務長になられてどれくらいですか。どのようなご苦労がありますか。

橋詰:2011年、ビジネスの世界からこちらに来たので、校長より長くいます。たいへんなのは、やはり財政面でしょうか。ここは教団とは別法人ですから、採算は自前でやらなければいけない。学生の人数は限られていますから、授業料だけでは賄(まかな)えず、運用益で8割がた学校を支えています。あと残りは、収益事業といえる賃貸事業ですが、これは微々たるものなので、メインは運用収益です。

建物の維持管理だけで、ものすごくお金がかかります。40年も使っているので、老朽化も進んでいますし、昨年は大雨のとき、図書館に水が流れ込んでしまいました。庭木の伐採などもたいへんですが、事故があってからでは遅いので、しっかり対策をしていかなければなりません。修繕費に毎年、教会が1軒建つくらいの金額がかかっています。

事務長の橋詰弘道さん

──同窓会はありますか。

橋詰:卒業生は600〜700人くらいいて、その中で「校友会」という同窓会があります。神学院には3つの奨学金がありますが、もうひとつ同窓会で設置して後輩を支援しています。

──今後のビジョンを教えてください。

中村:将来的な大きな夢は、先ほど申し上げた合同神学校の構想です。私は韓国によく行くのですが、その時に、「韓国の神学校と一緒になる時代が来た」なんて、一部の人と話したりしています。しかし、これも言い得て妙で、東アジア全体がますます濃密な関係になっていく中、日本も含めて、東アジア全体の中でキリスト教会がどのような方向に進むべきなのか、そういう視野の中で教育されたり、いろいろな経験を積んだりする必要があると思います。神学校で学ぶ学生だけでなく、牧師もそういう視点を持ちながら教会の仕事をしなければならないのではないでしょうか。

聖公会神学院本館玄関

佐々木:神学院の今後のビジョンとして掲げているのは、信徒奉仕職の学びのコースの設置です。信徒による牧会を支えるという学びを、ここで引き受けようとしているところです。とにかく神学校にさまざまな人が出入りしてほしいのです。

学生時代、私は、聴講生時代も入れて、ここで4年間住学んだのですが、神学を何も知らない私を誰も見下したりせず、校長をはじめ、スタッフ全員が大事にしてくれました。もちろん厳しい面はありますが、親とはまた違う意味で、人間として大事に育ててくださったことに感謝しています。その思いは今も変わらないので、少し恩返しをしなければと思って働いています。

この神学院では、「何かを持っているから、知っているから偉い」というつきあい方ではなく、互いに仕え、励まし合うという、世間一般とは違った関係を味わってほしいと望んでいるのです。

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