人工知能(AI)を信仰の中に取り入れることはできるのだろうか?──英国BBCでは、専門家による「世界の大規模な宗教はAIの技術を取り入れようとしている」という指摘を受け、その現状について取材した。報告するのはBBCのソフィア・ベッティツァ宗教記者。
AIとはコンピュータに人間のように考えさせる技術。現在では、食べ物から医療、旅行、そして宗教まで、私たち人間と物事の関係を変えつつある。紹介されるポーランドのワルシャワにあるカトリック教会には、「SanTo」と名乗るロボットの礼拝コンパニオンがいて、信徒との対話に応じる。その様子はまさに、カトリック教会のアレクサ。SanToの中には2000年分のカトリック信仰の知識がプログラミングされている。
信徒の多くは、人間の神父のほうがいいと言っているが、ある人は、「神様に近づけるものならそれはいいものだ」と話しているという。インタビューに応じた女性も、「時には非常に曖昧(あいまい)な答えが返ってくることもあるが、自分なりの答えを見つけてくれる手助けをしてくれる」と好意的に捉えている。
教会の神父は、ロボットやAIを使ってキリスト教の理解を深めることはできると思っているが、人間の神父の代わりにはなれないと断言する。人間と違って、AIには魂がないからだ。
日本のお寺でもAIの活用は進んでいる。400年の歴史を持つ高台寺(京都市)には、観世音菩薩に似せて設計されたロボット「アンドロイド観音マインダー」が、法話を行う。その説法は、現代人に分かりやすくするため、マインダーとプロジェクションマッピングに登場する聴衆たちとの平易な言葉でのやり取りにより展開していく。
見学に来た大学生は、「アンドロイドは、若い人に仏教を伝えていける」と述べているが、金属が剥き出しの無機質な姿に全員が安心を感じているわけではない。それでも高台寺の住職は、ロボットは徐々に世界の宗教に変化を与えるだろと力を込める。
その他にもAIによる変化はすでに始まっている。ムスリム向けの礼拝アプリ、カトリック教徒向けの「スマート・ロザリオ」、「ロボ・ラビ(ユダヤ教聖職者)」というアルゴリズムも出現している。
最後に、AIに信仰を傾けすぎることに危険はないのかを問う。それに対して、ケンブリッジ大学のベス・シングラー博士は、AIは頻繁に「人工知能」ではなく、「人工ばか」になると述べ、AIをすぐに信じ、傾倒しすぎることの危険性を忠告する。しかし、取材をとおしてベッティツァ記者は、「多くの宗教がAIやロボットの実験を行うなか、私たちの信仰のあり方も変えていくかもしれない」と結んでいる。