今日8月3日は蜂蜜(はちみつ)の日です。「8(はち)3(みつ)」の語呂合わせ。
聖書にも蜂蜜はたくさん出てきます。新共同訳では「蜂蜜」は旧約に9箇所。「蜜」は旧約に48箇所、新約に2箇所。「野蜜」は旧約に1箇所、新約に2箇所。
「野蜜」というのは、野生の蜜蜂の蜜のことで、当時、養蜂はされていなかったようです。
「主は……岩から野蜜を……得させられた」(申命記32:13)、「わたしは岩から蜜を滴らせて、あなたを飽かせるであろう」(詩編81:17)とあるように、蜂の巣は岩の間にもありました。
また、蜂蜜にまつわるヨナタンの有名なエピソードもあります。
この日、イスラエルの兵士は飢えに苦しんでいた。サウルが、「日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ」と言って、兵に誓わせていたので、だれも食べ物を口にすることができなかった。この地方一帯では、森に入りさえすれば、地面に蜜があった。兵士が森に入ると蜜が滴っていたが、それに手をつけ、口に運ぼうとする者は一人もなかった。兵士は誓いを恐れていた。だが、ヨナタンは彼の父が兵士に誓わせたことを聞いていなかったので、手に持った杖の先端を伸ばして蜂の巣の蜜に浸し、それを手につけ口に入れた。すると、彼の目は輝いた。兵士の一人がそれを見て言った。「父上は厳しい誓いを兵士に課して、『今日、食べ物を口にする者は呪われよ』と言われました。それで兵士は疲れています」。ヨナタンは言った。「わたしの父はこの地に煩いをもたらされた。見るがいい。この蜜をほんの少し味わっただけでわたしの目は輝いている」(サムエル上14:24~29)
このように森に入ると蜂蜜が滴っていました。
洗礼者ヨハネは「いなごと野蜜」(マタイ3:4、マルコ1:6)を食べていたことから、荒れ野にもあったようです。
ですが、すべてが蜂蜜ではなく、果実の蜜もあったという説があります。ぶどうやナツメヤシ、いちじくなどを煮詰めて甘い糖蜜を作ったといわれているのです。
蜜はまた比喩としても多く使われています。
わが子よ、蜜を食べてみよ、それは美味だ。滴る蜜は口に甘い。そのように、魂にとって知恵は美味だと知れ。それを見いだすなら、確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。(箴言24:13~14)
何より、「乳と蜜の流れる土地(地、所)」という慣用句は旧約に20回使われています。豊かな土地であることを具体的にイメージさせ、理想郷として憧れさせる「約束の地」カナンの美称です。