主の降誕のお喜びを申し上げます。人となられた神の御言葉が、すべての人の心の内に宿りますように。
教皇フランシスコの日本訪問は、実質3日ほどの、それこそ「強行」日程でしたが、無事終了しました。教皇は日本滞在中、長崎、広島、東京の各地でさまざまな言葉を語られましたが、それらの言葉には力がありました。その中に、多くの方が関心を寄せたいくつかの言葉があります。
筆頭に挙げられるのは、核兵器廃絶と平和に関する言葉であり、またもう一つは、帰国便において「私的な考え」として語られた原子力発電についての考えでした。
しかし、今回の訪日のテーマは「すべてのいのちを守るため」とされており、人間のいのちに関わる問題は、核兵器と原子力の利用にとどまるわけではありません。人間のいのちに関わるさまざまなテーマが教皇の口から語られました。
その中の一つ、「日本も難民を受け入れるべき」とされる発言には、思いのほか、否定的なコメントがネット上で殺到しました。いわゆる炎上です。
実際に教皇が難民について発言したのは一度だけ、それも文章にして数行にすぎません。それは、東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)に集まった青年たちに語った次の言葉です。
「さて、とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民のかたが、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら、多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです」
たったこれだけの短い言及が、メディアを通じて報道され、ネット上で否定的なリアクションを招いたこと自体が、教皇の語られる言葉の持つ力と影響力の強大さを逆に表していると感じさせられました。
教皇フランシスコは2013年の教皇就任直後に地中海のイタリア領ランペドゥーザ島を訪れて、アフリカから逃れてきた難民と出会い、次のように語られました。
「居心地のよさを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えはよいが、むなしいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」
誰ひとり排除されない社会の実現は、教皇フランシスコの最優先課題です。「いのちの危機にある人々のもとへ駆けつけることが、現代の教会に求められている姿である」と強調する教皇は、日本でも「教会は野戦病院であれ」と語りかけられました。
カトリック教会には、教皇の司牧的な方針を具体化するために、バチカンにさまざまな機構が設けられています。その中でも、慈善活動や援助救援活動を世界的に展開するのが「国際カリタス」という国際的NGOです。
カトリック教会があるところにはすべてカリタスが存在しており、日本にもカリタスジャパンがあります。カリタスジャパンは、国内外の援助活動を行っていますが、1970年代後半には、日本政府や国連と協力してインドシナ難民受け入れの活動も行いました。
世界各地でいま現在もカリタスは、教皇フランシスコの意を受けて、難民支援事業を展開しています。教皇は夢を語ったのではなく、すでに実行していることを語ったのです。
実際に実行に移している土台があるからこそ、教皇が語る言葉には力があります。語る言葉の裏には、「すべてのいのちを守る」という確固たる信念があるからこそ、教皇の言葉には力があります。力のあるいのちの言葉を率先して語る牧者の姿を目の当たりにした日本訪問の4日間でありました。
菊地功(きくち・いさお)1958年、岩手県宮古市に生まれる。南山大学文学部神学科卒業。86年、司祭叙階。同年から94年まで西アフリカのガーナに宣教師として派遣される。帰国後、神学生養成担当(名古屋教区)、99年から神言会日本管区長を務める。2004年、新潟教区司教に任命され、司教叙階。17年、東京大司教に任命され、着座。ほかにカリタスジャパン責任司教、カリタスアジア総裁、国際カリタス評議会メンバー、教皇庁福音宣教省委員、アジア司教協議会連盟(FABC)人間開発局委員を歴任。