【映画評】 愛と使命の流れる河 『ミッション 4Kデジタルリマスター版』

磔にされた白人男性が、十字架ごと激流に揉まれるまま、滝壺の水煙へと消えてゆく。

実際に生身の人間を木の十字架へ拘束し、川へと流して撮影されたこの冒頭部も鮮烈な1986年製作の映画『ミッション』が、4Kデジタルリマスター版となって先週から公開されている。ロバート・デ・ニーロが奴隷商人役、ジェレミー・アイアンズがイエズス会の熱心な宣教師役で共演、若き神父役で新人であったリーアム・ニーソンも熱演する本作は、1987年の日本公開時にも注目を集め各方面で議論を巻き起こした。

宣教師が体ひとつで18世紀南米中部の河川を遡り森奥へと分け入り、滝落ちる断崖をよじ登った先で懐から取り出したオーボエを吹くと、奏でられる音へ吸い寄せられるように森の先住民グアラニー族の男たちが矢をつがえ警戒しながら取り囲む。宣教師の視点をとるゆえにグアラニー語の会話は字幕に訳されることもないながら、彼らの中にも秩序があり意見対立があることは、演出の巧さによってこの短い場面からも明確に伝わってくる。村落機能をもつイエズス会伝道所を丸ごとセット再現するなど、国際的な商業大作映画の製作力が遺憾なく発揮された本作をこれまで幾度も観てきたが、高精細のデジタル補正が施された4K版はまったく新たな感動をもたらし場面場面で驚かされる。

10/16(金)公開 映画『ミッション 4Kデジタルリマスター版』予告編

キリスト教とは何か、植民地における布教とは何だったか。そもそも信じるとは、人が人を支配するとはどういうことか。何のために生きてきたのか、生きるのか。

こうした根源的なテーマに登場人物らが直面しつづける構成の巧さも際立つ本作、21世紀を迎えた今日の観点からは新たに気づかされることも多い。たとえば物語の舞台である現ブラジルとアルゼンチンの国境一帯、ウルグアイ河上流やパラナ河中流域(パラグアイ国境地帯)は18世紀当時、スペイン勢力とポルトガル勢力の国境紛争が積年の火種となってきた地域だった。先住民もまたこの対立に巻き込まれ互いに殺し合う事態へと発展する描写は、言うまでもなく映画公開時の冷戦構造を暗示する。老人と女子供のみが残り讃美歌を歌い上げる教会の茅葺き屋根へ、白人司令官の命令で先住民の男たちが放つ火矢から燃え広がる焔の輪郭が揺らめいて、その白人司令官が首へ下げる十字架の震えに重なる。近親者や同じ神を掲げる者同士が敵味方へ分かれ代理戦争で殺し合う地獄絵図は、世界各地でなおも引き起こされつづけている。

本作監督のローランド・ジョフィは、カンボジア内戦の凄惨を描く1984年の『キリング・フィールド』で長編デビューを飾り、1986年の本作『ミッション』に続き、日本公開はなかったものの1989年には原爆開発に携わった科学者らの煩悶を描く『シャドー・メーカーズ』を公開して世界的な注目を浴びた。カルカッタ(現コルカタ)で絶望したアメリカ人医師と貧困に喘ぐ田舎から出てきたリキシャ引きの青年との出逢いを描く1992年の『シティ・オブ・ジョイ』は、映画史に残るローランド・ジョフィ代表作と言って良い。日本でも話題となった後続の1995年作『スカーレット・レター』も含め、通底するのは鋭い自己懐疑のまなざしである。自分たち白人男性はこの世界に対して何をしてしまったのか、そして何をすべきか。

シャドー・メーカーズ 核実験の場面  日本語字幕  Fat Man and Little Boy  Don't forget Hiroshima Nagasaki

白人男性視点と書いてしまえば、たとえ批評的ではあれその視座を選び取る態度そのものが今日では傲慢との謗りも免れないが、いまに比べ女性監督の居場所がほぼなく、1986年にスパイク・リーが登場するまで黒人監督がスター化する例は稀少であった英米圏の映画界において、ジョフィ監督の表現性には示唆的なものがあった。その特異性の一端は、『シャドー・メーカーズ』と極めて類似した表現も多い2023年のクリストファー・ノーラン監督作『オッペンハイマー』に、日本国内のどの大手映画配給会社も動かず同作の日本公開が約一年遅れた直近の事態にもよく表れている。2020年代ですらこの「空気による自己検閲」が働いてしまう日本社会の窮屈さを、ジョフィ作品は非公開という仕方で1980年代すでに逆照射していたことになる。日本語文脈における原爆ギミック同様のタブー性を、形を変えた植民地構造としての南北格差や人種差別、性差別等々で体現してきたジョフィ監督作群の核心はつねに予言的であり、時代の先を行くその手つきが描いた『ミッション』の詳細をいま再考し問いかけることの今日的意義はしたがって小さくない。

たとえばリーアム・ニーソン演じる若き神父は終盤で、舟上にあって腹部を撃たれ血を流す。片手で出血を抑えながら彼がとった選択は、追いすがる敵兵を舟ごと道連れにして滝壺へ落ちる選択だった。舟には先住民の仲間も乗るなかで、なぜその決断を為せたのか。遠い異国の、誰の記憶にも留まり得ない辺境で。

また本作に、大英帝国以来の領有権を主張するイギリスに対しアルゼンチンが強硬手段をとったフォークランド紛争の残響を聴きとることも可能だろう。この視座をとるなら、後半に登場する「剣を手にとる先住民少年」の描写は、クーデターを経た当時のアルゼンチン軍部による旧列強国への反発を重ねることも容易となる。調停のため欧州から派遣された司祭(史実ではイエズス会特命全権巡察使)が、現地信徒へ一定の共感を示しながらも教会存続のため宗主国の意向へ従う「二枚舌」を見せる場面などは、批判に遭うことも多いローマ教皇の振る舞う政治的偏向性への皮肉も感じさせる。史実で初めて南米出身の教皇が登場するのは、ずっと後の2013年フランシスコ就任を待たねばならない。

映画『ローマ法王になる日まで』予告編

「二枚舌」について言えば、本作『ミッション』の脚本を担当したロバート・ボルトは『アラビアのロレンス』(1962)で世界的に名を馳せた脚本家であり、つづく『ドクトル・ジバゴ』(1965)、『わが命つきるとも』(1966)等々でも一貫して植民地構造やそれに伴う戦争を背景へ響かせてきた。T.E.ロレンスは、マクロには「二枚舌」に真実味をもたらすべく大英帝国の論理に利用された存在ながら、ミクロには嘘から出たまことを具現化するロマンに生きた男として描かれる。個人主義的なロマンに殉じるか、内におわす神の意思へ従うかの違いがあるとはいえ、この点で『ミッション』の主人公たちイエズス会士の最後の選択にも重なる。

ジェレミー・アイアンズ扮するガブリエル神父が単独でグアラニー族の村落へ住み込み、暮らしの外来技術を共有することで信頼を獲得する日々のなかで、あるとき村落はロバート・デ・ニーロ演じる奴隷商人ロドリゴ・メンドーサ率いる奴隷狩りの集団に襲われる。メンドーサは、“収穫物”である先住民らを馬上へ縛りつけ見せびらかすように植民市へと凱旋する悪辣さを見せるが、愛する女性の心を奪った甥を勢い余って刺し殺した罪悪感からガブリエル神父のもとに跪く。かつてガブリエル神父が挑んだ滝落ちる断崖を、メンドーサは懺悔の一心からコンキスタドールの鎧兜が詰まった大袋を引きずり、何度も滑落しながらついに登り切る。村落に着き先住民らの殺意に晒されたメンドーサが、やがて村民から赦しを得て泣き崩れる場面は本作ハイライトのひとつだろう。鎧兜の詰まった大袋は、メンドーサがこの世で背負った業の象徴であり、歩み寄ったグアラニー族の少年により断ち切られる。

終盤で村落が国軍の攻撃を受けることが確定した際に、いったんは川底に沈んだ鎧兜の大袋から剣を拾い上げメンドーサへもたらすのは、この少年だった。おのが信念に従い死を覚悟するガブリエル神父と、自らを赦したグアラニー族のため武力をもって抗おうと決心するメンドーサはこのとき再び道を分かつのだが、襲い来る国軍の背後に教会が居座る状況下で、信仰に照らしてどちらが誤りとはもはや言えない。

映画『彷徨える河』予告編

ここで、グアラニー族の描かれかたに目を向けることが意味をもつ。南米先住民に限らず、国際的な商業映画大作における非欧米圏や有色人種の描写は長らく白人主人公らの物語を盛り立てるただの「背景」や「装飾」として有用であり、それらが固有の主体的価値や人格性を帯びることは稀だった。個の表現である前に集団製作物であり産業生産物である『ミッション』も基本構造はこれを踏襲しているが、仔細にみればグアラニー族の姿勢や決断こそがイエズス会士らの内面へ影響する場面は、日常的な遊びの描写にまで及んで幅広く数多い。

たとえばイエス・キリストの生涯再現に鬼気迫る演出を施した『パッション』でも知られるメル・ギブソン監督の2006年作『アポカリプト』は、非白人の文化や言語、人格性をないがしろにしがちなハリウッド的手法への自己批判から、先住民系の俳優だけを使い全編をマヤ語のみで構成したし、シーロ・ゲーラ監督による2015年作『彷徨える河』においては、同族が息絶えたあとも孤独に生きるシャーマンこそが内面の深い葛藤を抱える主人公として描かれ、アメリカ人植物学者やドイツ人民族誌学者らがこれを引き立てる。こうしてみると1986年作『ミッション』における先住民描写の有する先見性が窺えようというものだが、念のため付記すれば実際にグアラニー族の面々を演じたのは、撮影地にコロンビアが選ばれた兼ね合いから当地サムワン河上流の密林に暮らすワウナナ族の人々であった。

『彷徨える河』では先住民のみならず白人探検者の側すらもが、アマゾンとの対峙や克服をもはや意図しない。『彷徨える河』中盤には、イエズス会伝道所を明らかなモデルとし、己をイエスの生まれ変わりと自認するカリスマが治めるカルト化したキリスト教コミュニティが登場する一方で、同族が死滅したシャーマンの男カラマカテは使命感を喪失し、森奥で孤独に試練の日々を暮らす。『ミッション』では終盤、銃弾を受けたガブリエル神父が落とした聖体顕示台を、グアラニー族の壮年男性が拾い上げ、両腕で胸元へ抱えて祈りの行進を継続する。この壮年男性もまた寸刻をまたず命を落とすだろうが少なくとも、カラマカテのかこつ孤独はそこに存在しない。斃れたガブリエル神父により信仰は確かに受け継がれたのだ。待ち伏せの銃撃を受け地に横たわって息も絶えだえのメンドーサが、それを目撃する。かつて女をめぐる争いから弟を刺した男がさいごに手にした、それは真実の愛の姿だと言える。この継承により、『ミッション』は完結されたのだ。

(ライター 藤本徹)

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『ミッション4Kデジタルリマスター版』The Mission 4K
2026年10月16 日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
配給:アークエンタテインメント
提供:ハーク
公式HP:hark3.com/mission

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映画『ローマ法王になる日まで』公開 教皇像の裾野広げる秀作 2017年6月10日

【映画評】 さまよえるとき 『彷徨える河』 Ministry 2016年秋・第31号

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