主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の61篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 61篇6節
どうか王のいのちを延ばし
その齢を代々に至らせてください。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「君と好きな人が百年続きますように」という歌詞で、一青窈さんの『ハナミズキ』はもう20年以上も愛されています。日本の国歌である『君が代』も、諸説ありますがざっと要約すれば「この平和な世がずっと続きますように」という意味の歌詞を持っています。「君」が何を指すのか、今の世をこのままずっと続けることが良いのか、という議論はありますが、とにかく「ずっと続きますように」という願いは洋の東西も時代も超えて、人間が共通して抱き続けている願いなのかと思います。
この詩の「王」が誰であるのかも、聖書を研究する人たちの間で様々な議論があるようです。この詩を書いたダビデ自身のことを指すのか、息子のアブサロムのことを指すのか、はたまた後の世に現れるイエス・キリストのことを指すのか。しかしいずれにせよ、やはり「ずっと続きますように」という願いが込められていることは間違いないでしょう。
人生には「ずっと続けばいいのに」と思うような良い時間も、「早く終わってくれないかな」という悪い時間もあります。どちらかと言えば、悪い時間の方が多いというのが、現実かもしれません。しかしそれでも「ずっと続きますように」という願いは、多くの人に共通して願われ続けているものです。不思議なものです。人生にも世の中にも良い時間も悪い時間もある。しかしそれでも総じて言えば、「続きますように」と願う。
長生きは原則として「めでたいもの」「良いもの」として扱われますし、「歴史が長い」ということも同じです。「長く続く」というのは一般的にポジティブなものです。反対に「短命」や「短期間で終わってしまう」ということはネガティブに捉えられがちです。
人はどうしてこんなにも「長く続く」ことを望み、夢見るのでしょう。憧れるのでしょう。それは人間が誰しも限りある命、つまり限りある時間しか与えられていないからなのかもしれません。多くの人が「自分が死んだ後も、何かをこの世に残したい」と願います。それは「自分」という存在が、自分の死後も「長く続く」ことを望んでいるということです。
現実の社会を見てみれば、「早く終わってくれ」と願わずにはいられないことが多々起こっています。戦争なんてその最たる例です。そんなものは誰にとっても早く終わるに越したことはないものですし、誰もが早く終わることを願っているでしょう。戦争を起こす指導者を「王」とするならば、そんな「王」の齢が代々に至るなんてことは考えたくもありません。しかしクリスチャンにとって「王」とはイエス・キリストのことです。キリストが王であり続けることは、すべてのクリスチャンにとって心から望むことでしょう。もし、『君が代』の「君」をイエス・キリストだとしたら、こんなに信仰に満ちた曲もないことでしょう。イエス・キリストではないにしても、もし愛する人を代入するのなら、それでもこれほど平和で祝福に満ちた曲もないことでしょう。
あなたにとっての「王」、「君」は誰ですか?それは天皇陛下ですか?政治家ですか?会社の社長ですか?「推し」ですか?自分ですか?お金ですか?名誉ですか?それとも愛する家族ですか?キリストですか?その座に何を座らせるかで、僕たち一人一人の人生の価値観が決まります。心から「長く続く」ことを望めるものを、座らせておかなければいけません。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
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