支縁のまちネットワーク(大阪府吹田市)が主催するミニシンポジウム「無縁から支援へ」が12月7日、金光教大阪センター(大阪市中央区)で開催された。血縁、地縁のような従来の縁が薄れゆく中、宗教による縁で人々を支えていくことがどうしたらできるかを、支縁のまちネットワークの新しい共同代表となった三浦紀夫氏(真宗大谷派僧侶)と岩村義雄氏(神戸国際支縁機構代表、キリスト教会牧師)が、それぞれ地元での「支縁」の活動、被災地や海外での「支縁」の活動について語りあった。
岩村氏は、豪雨災害により被災したスペイン東部のバレンシア州パイポルタに11月9日〜13日にかけて滞在し、その間地元のボランティアと共に泥出しや被災した家屋の片付けを行った。またその一方で、被災した人たちの声にも耳を傾けた。シンポジウムでは実際に見た水害の状況とそこで行われたボランティア活動の報告し、日本におけるボランティアのあり方について考察した。
スペイン東部を大雨が襲ったのは10月29日。わずか数時間で1年分に相当する雨が降り、河川が決壊して道路が濁流と化し、車や橋が押し流された。11月時点で死者は211人と発表され、その後も行方不明になっている人たちの捜索活動も続いた。スペイン国内の水害としては過去50年で最悪の規模とされている。
岩村氏が同機構「カヨ子基金」が現地に赴いたのは11月9日未明。最大の被災地点であるバレンシア州パイポルタの市街地は、あたり一面水に覆われ、道と川の識別が全くつかない状態だった。100メートルくらい先に、膝上までの長靴を履いた人が滑らないように慎重に歩いている姿に出くわし、手を貸したいと思いながらも追いつくことができなかった。岩村氏は「薄明りの中、あきらめ、失望、無念の嘆息の息もよどんでいました。色は死んでいました」とその時のようすを振り返った。
パイポルタでは80~90人の人たちが亡くなっている。住民の所有している車は全滅といってよいほど水にのまれ、岩村氏らが目にしたのは洪水で茶色に化した一帯だった。そのような中で目を引いたのが、スペイン各地から集まったボランティアたちだ。シャベルやバケツ、食料やおむつを積んだショッ ピングカートなどを持って、浸水した郊外の困窮した住民の支援を行なっていた。岩村氏がまず驚いたのは、そこには行政の管理が全くないことだった。
日本国内の被災地でボランティア活動も行う岩村氏は、その活動の妨げとなる行政の管理について苦言を呈してきた。また、日本では専門的知識を持たないことでボランティアに対して消極的になることが多々あるが、パイポルタでは専門的な知識や技能を持たない志願者でひしめきあっていたことも驚きだった。「能登半島でもパイポルタのように大群衆のボランティアがいれば個々の復旧がはかどったにちがいありません」と岩村氏は悔しさをにじませる。
1995年に発生した阪神・淡路大震災は「ボランティア元年」という言葉を生み出し、これを機に日本では様々なボランティアに関する整備が行われるようになった。それによって大きなボランティア組織や団体が次々と生まれたが、その一方で、個人的にボランティアするのは難しく、「困っている人を助けたい」という純粋な思いをボランティアで実現することはできないのが現状だ。そのような現状を踏まえつつ、パイポルタでボランティアに携わる人たちを思い起こしながら岩村氏は次のように提言した。
「パイポルタのボランティ活動は、組織で動くのではなく、みんなが自発的に動いています。組織中心だと個々の感性が発揮できません。 被災者との接点は、一人ひとりでなければならないでしょう。被災者とコミュニケーションをとるのはボランティアのほうが、はるかに機転が利きます。そのことを知ったうえで、行政は、地域の連絡、情報の伝達、分配に専念し、ボランティアを補佐するような構造に転換すべきです。活動の棲み分けにより、被災者のうめき、悲しみ、怒りを共有し、有機的に補完しあうべきなのです」
また、12月12日には今回のスペインでの支援活動について記者会見が行われた。会見では、被災した人たちが日本からのボランティアと知って大きな喜びで迎え入れてくれたことなどが語られた。
支縁のまちネットワークは、宗教者と研究者のパートナーシップのもと、宗教者が関わる社会活動の「見える化」「エンパワメント」「相互交流」をはかるために2011年1月に発足したネットワーク型の組織。物質的なサポートだけでなく、様々な存在との関係性を豊かにすることを重視し、敢(あ)えて「支縁」という言葉を用いている。
写真提供:神戸国際支縁機構